2019年6月26日水曜日

悪阻の忘備録

3回ともに妊娠悪阻と診断されたけれど、今回の悪阻が症状的には一番キツい。
火曜・水曜にダメになる日がまだ続いているけれど、一日二食取れるほどに回復してきたので、最悪の日々からは抜け出せたと信じたい!!!
今後悪阻に苦しむ友人のためにも忘備録。


【悪阻症状】
=体調面=

・頭痛・目眩・光が辛い・寒気(体重低下による脂肪の少なさ故)
・吐き気・嘔吐・動悸・栄養不足からの貧血症状などなど


=調子の良い時に食べられたもの=

・カリッと焼いたトーストにキュウリとトマトを挟んだサンドイッチ
・ロイヤルホストのケールサラダと赤身のステーキ
・ジャスミン茶
・無糖の午後ティー
・和製グレープフルーツ
・塩もみしたカブ
・硬めに茹でたスナップえんどう

パンと牛肉(今回は鶏肉・豚肉がダメだった)、歯ざわりのある癖の無い野菜は食べられる時があったので、ストックを作ってもらっていた。
この辺のものは吐いた時の負担が軽いのもよかった。


=楽な姿勢=

横になっている時は左側を下にして、布団を頭にかぶる。
移動は基本四つん這いが体力を消耗させないし、貧血症状が起こりづらい。
吐く時はヤンキー座りが胃の痛みを緩和させるのに良いし、踏ん張れるので吐きやすい!


=気休めになったもの=

・ホットアイマスク
・調子の良い時は昔の子供達の写真
・友人の子供の成長インスタ




2019年6月21日金曜日

妊娠3ヶ月(10W・11W)

入院では1日2Lの水分を点滴してくれる。
嘔吐症状が強く、結局吐いてしまうのならば体力消耗するだけだからと絶食になった。
点滴のおかげで随分楽になったことと、文昌発熱により退院させてもらい帰宅。
薄くかすみがかって見えていた景色がクリアになったことに感激する。


6/6
仕事を終えた安澄がゆみちゃんのパンを買ってきてくれた。
こんな最中でも唯一食べたいと願っていたのがゆみちゃんのパン。
日文の時も文昌の時もゆみちゃんの作るシュトレンだけは食べられたので、藁にもすがる思いだった。
見た瞬間に涙がこみ上げて、かじった途端に涙が溢れる。
「美味しい!!」
久々に感じた美味しい!という気持ち。
これで大丈夫。という強い安心感に満たされて、ぐっすり眠る。
ゆみちゃんは命の恩人ということを子供達には伝え続けなくてはならない。


6/8
久々に家族でお出かけ。
車に乗って本屋さんへ。私もいるという事が嬉しいようで子供達ははしゃいでいる。
二時間のお出かけだっったけれど、遊ぶ子供達の姿を見れた事がとても嬉しかった。


6/10
退院したと伝えるやいなや、来てくれたなおちゃん。
この一ヶ月家族としか会えていなかったので、前日から嬉しくって涙ぐんじゃうほどだった(悪阻メンタルは涙もろい)。
なおちゃん効果もあってか、体調も良好!!
2人でランチして、プリンまで食べるという奇跡のような一日だった。
なおちゃんという友人がいる事が嬉しい〜と言いながら夜も泣いた(悪阻メンタルは涙もろい)。


6/15
少し体調が安定してきたこともあり、当初の予定を決行して国立へ。
ラマでリカちゃんに会った瞬間にスルスルと体の力が抜けていく。
この1ヶ月。インスタで成長を見ては励みにしていたタマオが眩すぎてつい拝ませてもらった。
その後はまなちゃん宅へ。かこちゃんも居てスペシャルな時間を過ごさせてもらう。
国立の大好きな友人たちはギュギュッとハグしてくれたり、友達なのにお母さんのように包み込んでくれるから参っちゃう。
不安とかイジイジしていた気持ちとかがスコーンと無くなって、ただただ安心してさようなら。
国立に越して、彼女たちと会えた事は私の中でとても大きな事。
早く逗子にもこういう友人ができたら嬉しい。

夜は三星実家へ。
しかし途中からみるみる体調が悪くなり、横にならせてもらうことに。
元気な顔を見せる予定が、心配させる結果となり反省猛省。


6/16
朝には体調も落ち着き、初京!
小さいながらもすっかり佐藤家の一員になっている京。
新生児期の間に会えて良かったな。爪の形がとても綺麗なのが印象的。

その後は横浪さんに子供達を撮影してもらい、逗子へ帰宅。
やっぱり夕方からはダメになってしまい、布団で横になる。


良くなったと思っていた体調がまたもや急降下。
頭痛、嘔吐、腹痛で振り出しに戻ったような感覚。
このまま悪阻終了??なんて淡い期待をしていただけに精神的にもキッツイ。

2019年6月17日月曜日

この一ヶ月の安澄を神と呼ばずしてなんと呼べばよいのだろう。

AM5時
起床→仕事→ランニング→シャワー→幼稚園の弁当作り

AM7時
子供達を起こす→朝ごはん(食べられるかわからない私の昼ごはんも)→幼稚園・保育園準備→朝ごはんの片付け→ゴミ出し→洗濯→掃除

AM8時半
子供達それぞれの送り→出勤

PM5時半
保育園のお迎え→買い出し→子供たちと海へ

PM6時
帰宅→夕ご飯作り

PM7時
夕ご飯→片付け→筋トレ→子供達の風呂→子供達の歯磨き→寝かしつけ

PM9時
洗濯物の畳み→仕事

PM12時
就寝

一切合切の家事・育児と仕事(しかもめちゃくちゃ忙しかった時期)をこなしただけではなく、私のメンタルケアまでしてくれている安澄。
私は全てをすっかり委ねてただ布団に横たわり、たまに訪れる起き上がれる時にだけ少しの家事を手伝うというスタンスで過ごさせてもらっている。
子供2人のワンオペだけでもキツイだろうに、病人の世話まで・・・・
正直いっぱいいっぱいになっている時もあったけれど、不機嫌になることなく、子供達の生活リズムを崩すことなく、日々を整えてくれる・・・・

体調不良の当事者である私は親や伝えた友人などに労ってもらうこともあるけれど、安澄は私にしかその大変さが伝わらないので、この一連の頑張りを労ってもらうことも無い。
な・の・に!!
なのにも関わらず、優しさとユーモアで家族を守ってくれる安澄。
ここまでくると客観的になってしまって、ただただ凄い人だな〜と感心してしまう。
同じ状況で同じ事が私に出来るだろうか?
いや〜出来ないな〜

2019年6月11日火曜日

妊娠3ヶ月(8W・9W)

妊娠8w・9w(5/22〜6/4)
この期間は日にちの感覚が無い。
記憶もなければ記録もないので2週間をざっくりと。


吐くために生きているような気がしてくる。
日文も文昌も辛かったけれど、こんなに辛いなら死にたい・・・と初めて思うほどだった。
吐こうにも胃液すら出なくなり、胃痛とともに血が出るようになった。

その日もいつものようにトイレで吐き続けたのち、机の食器を片付けようと流しに向かうところだった。
目の前が白くなり、頭がガクガクと震え出してこれはヤバいやつだ!と何かを掴もうとした瞬間に記憶がなくなる。
寒くて目を覚ますと床。
全身はびしょ濡れですっかり冷たくっているし、打ったのであろう頭がズキズキしているし、横には鍋が転がっていた(思わず掴んだものがお湯を入れていた鍋という愚かさ)。
お腹を打っているかもしれない・・・と不安になり、仕事中の安澄に申し訳なく思いながらも電話→このところの全てが溢れて過呼吸になってしまう。
子供らのことや、安澄への申し訳なさから、自分の不安や辛さは極力考えないようにしていたけれど、流石に限界だったのかもしれない。

点滴をしてもらおうと、今回出産希望の病院で初診察。
診察室へ呼ばれると今回も例に漏れず入院を指示される。

流石に子供らが心配で入院を渋っていると、今まで優しかった先生に「悪阻ナメないでくださいね。もしお母さん自身も赤ちゃんも死んでしまう覚悟が出来ているならどうぞ入院しないでください。無事に出産したいなら、今日から入院してください。いまの貴方はそういう状況なんです。」と言われる。
安澄と相談し、子供らを任せて入院させてもらう事にした。
日文は理解しているので泣きながらも「元気になるための入院なんだからお母さん頑張ってね!日文も頑張るからね。」と言ってくれる。
その横で懸命に私の点滴を抜こうとしている文昌。
この子はお兄ちゃんになれるのか?
心配でしかない。



今思えば妊娠2ヶ月(6W・7W)

ゴールデンウイークが終わり日常がスタート!の予定が一気に地獄へ落ちる。
突如始まった悪阻症状。
正直この時期の記憶が無いし、写真なんて撮る気力も無かったので記録も無い。
文昌が生まれてからまだ生理が再開して間もなかったので、遅れているなんて気にしてもいなかった。
今振り返るときっかり妊娠6wから悪阻が始まっていて、律儀な子だなーと思う。


5/9
日文の幼稚園のお母さんに誘っていただき、よもぎ摘みへ。
その後ファミレスへ流れ込み、初めての幼稚園ママ体験!
途中からアレアレ?と動揺するほど具合が悪くなり、座っているのも辛いくらいになった。
なんとか二人のお迎えを済ますも起き上がることが出来なくなりそのまま寝込ませてもらう。


5/10
光が辛くなり、布団に潜ってひたすらに耐える。
嘔吐で布団とトイレをひたすらに往復。
吐いてもスッキリしないもんだから悪いものでも食べたっけ??と不安になる。
心のどこかでもしかすると・・・と思いながら。

5/11
嘔吐で心身ともに限界。
まともに寝る事も出来ずに、これはきっとそうだと確信する。
安澄に検査薬を購入してきてもらい、いざ検査。
尿が検査薬を通過したその瞬間にはっきりくっきりと浮かび上がる陽性反応。
あまりに瞬時に出たもんだから、陽性反応ということに気づかずにしばし待ってしまったほど。
喜びたい気持ちと今回もこんな感じ(悪阻)か・・・・という絶望にクラクラする。


5/12
まだ心拍も確認出来ない時期だろうと病院はしばらくしてからのつもりでいたけれど、この3日間の様子を見ている安澄の客観的な状況判断により日曜診療の病院へ。
早くもケトン値が異常になっているということで即点滴となる。
水分が体に取り込まれていく感覚が自分でもわかるほど。
安心からか気づけば熟睡していた。
隣の部屋が分娩室だったようで、産声で目を覚ます。
私が3人のお母さんになるのか・・・・現実にちょっと怖くなった。

点滴を終えてからエコー検査。
まだ見えないと思っていたけれど、腹の中の子は心臓をパクパクさせていた。
素直に嬉しい!と思えた自分に安堵。
奇しくも(?)今日は母の日。
そんな日に心拍のプレゼントをくれるだななんて粋なことするね〜と腹の子に話しかける。
家に帰ると3本のカーネーションをプレゼントされた。
日文からはピンク。文昌からは薄緑。もう一本は白。


5/16から21まで台湾出張のため安澄不在。
三星の母と実母に急遽頼み込んで来てもらう事にした。
子供の世話から家のこと、全てを完全に委ねてひたすらに寝込ませてもらう。
食事はおろか水分すら取れず、子供達と話す事もままならない。
地獄のような時間をひたすらに耐える。
子供達は私の状況を察しているのか、必要最低限の時しか近くに寄ってこない。
あの甘えん坊の文昌までもが!


2019年6月9日日曜日

今思えば妊娠2ヶ月(4W・5W)

毎年誰かしらと会っていたGW。
今回は引越直後ということで予定の目処が立てれず、家族だけで過ごすことにした。
始まる前はちょっとしんどいかも?なんて思っていたけれど(いくら可愛いとは言え、四六時中一緒に居るのは覚悟がいる)、終わってみたらばあっという間。
幸せ過ぎて最終日、泣くほどに楽しかった。


4/29
国立の家の最終日。
子供らを祖父母に預けて安澄と二人でせっせと片付ける。
結婚式の準備、日文の妊娠・出産、文昌の妊娠・出産。
走馬灯のように思い出しては涙ぐみながらのお片づけ。


5/1
妹の第四子に会うために八戸へ。
車での初めての帰省は夜に出発して朝着というスケジュール。
安澄が頑張ってくれて予定通りに到着した。
母の計らいで、一軒家を借りて母・妹家族とゆっくり過ごすことになっている。
久々のゆっくりとした帰省なのでご機嫌な私。


5/2
朝着くと母と妹がお出迎え。
この日は近所の銭湯に行ったりとゆっくり過ごした。
午後には姪っ子・甥っ子も合流して賑やかに。
生まれて間もない赤子の可愛さに文昌がメロメロになっていた。
愛おしそうに頭を撫でている姿に少し感動する。


5/3
昼は恐山へ行き、夜は子供らを預けて安澄と二人でお出かけへ。
夜に二人だけで飲みに行くなんて久々も久々!!
嬉しくてたった1杯しか飲んでいないのに酔っぱらう。
カウンターに横並びになり、色々な話をする。
子供のいなかった恋人時代の時のような感覚がこそばゆくって、幸せだった。


5/4
りんご畑でBBQ。長い冬を耐え、春を喜ぶ東北ならではの感じが心地よい。
日文は花を求めて走り回り、文昌は農具や車に夢中になっていた。
この日はなぜか飲む気にならず、私の運転で帰宅。
今考えるとこの付近から飲みたいという気持ちが薄れていたような気がする。


5/5
特に何をするでなく、ただ母や妹家族とゆっくり過ごせた八戸帰省。
子供達も年の近い従兄弟たちとたっぷり遊べて満足そうだし、
私は私で素直に甘えられる環境の居心地の良さにすっかり羽を伸ばせた。
実家が近くにあるって精神的にも体力的にも最高だな〜〜
別れがたいけれども八戸を発つ。
帰りの車内で子供たちの体調も考えて途中で一泊することに急遽決めた。
こういう時の私の決断力と行動力を安澄は好きだと言ってくれて鼻が膨らむ。
私はいつだって安澄に褒められたい。


5/6
しーちゃんオススメのお店のウマウマ丼を食べた後、ひたち海浜公園。
その後はネストビールの酒蔵へ。
車で帰るとこういう寄り道ができるのが嬉しい。
家に着くと日文がこんなに楽しいって最高だね〜と笑っていた。
気付けばずっと笑っていた10日間。
この家族で暮らせてることが急に奇跡みたいに思えてきて、ジーンときてしまう。
布団に入ってから安澄に一緒にいてくれてありがとうと伝えると、珍しくふざけないで俺も同じこと思っていたと言われた。


今思えば妊娠1ヶ月(2W・3W)

ようやく日文も入園式。
文昌は保育園に慣れる様子なく、ちょっと心配になる。
3人の小規模保育から20人越えに戸惑っているのかもしれないねと安澄と話す。


4/11
日文入園式。
国立から三星の祖父母も来てくれて5人で入園式に向かった。
この日のためにメルカリで用意していた真っ赤なワンピース。
スカートをクルクルさせて日文もとても嬉しそうだった。
先生たちの熱のこもった寸劇に、ちょっと緊張していた子供達も緩む。

お昼はお寿司屋さんへ。
海の近くだからかとても美味しい。


4/12
初めてのバス通園。
泣くかもな…と思っていたのに後ろを振り返ることなく乗り込んでしまい、呆気ないものだった。
初日から制作物を持ち帰ってくる。
この園はいたるところに資材があり、好きなように制作をして良いという方針。


4/13
この日は安澄の大学時代の後輩の結婚式参列のため、子供らもおめかしして原宿へ。
文昌は持ち前の社交性を発揮して、あっという間に遊び相手を見つけて楽しそうにしている。
こういう時の日文は場慣れすにるのに時間がかかるのだけれど、安澄友達のナイスサポートによって早々と笑顔を見せていた。


4/14
狭山で行われたイベントで飲んだアグさんのドリンクがとても美味しかった。


4/17
日文と二人で劇団四季のキャッツを観賞。
幼い頃のバレエの発表会で何度となく踊ったキャッツ。
いつか本物を見てみたい!の夢がようやく叶う。
日文も初めての世界にのめり込むように集中していて、とても楽しかった様子。


4/18
日文と海へ。最初は足だけだったのに気付けば全身ビチョビチョになって笑っている。
こんなに嬉しそうに、無邪気に笑う日文を見るのはいつぶりだろう。
もっと笑わせたくて、気付けば私もビチャビチャになっていた。
あー楽しかった。


4/20
小さな頃から便秘気味だった私はあまりお腹を壊す事が無いのだけれど、この日はお腹がくだってくだってトイレで悶絶していた。
日文の時も文昌の時も凄まじい下痢症状を経てからの妊娠発覚だったので、まさかなと思いながら痛みをこらえる。
そのまさかだったとは。

2019年6月8日土曜日

今思えば妊娠1ヶ月(1W)

文昌の保育園が始まり感傷に耽る暇なく日常がスタート。
日文の幼稚園はまだまだなので、日中は二人でゆっくり過ごす。
保育園に預け出してから、しかも文昌が生まれてからはこんなにも日文と親密な時間を過ごせていなかったのでご褒美みたいな時間だった。


4/3
今の家から徒歩5分の場所に海があるので日文と散歩。
砂浜に女体を作って盛り上がった。


4/4
安澄の新事務所の内見の為、関内に。
もう少し逗子に近い方が良いのでは?という気持ちは押し殺して同行する。
帰りは家族で横浜中華街。
照宝で蒸篭を購入する予定が希望サイズが売り切れのため、丸いまな板を購入(これが使いやすくて最高だった)。
その後、同發でおやつ代わりの中華を食べて帰宅(このお店美味しい!!)。


4/5
初めての逗子からの出勤。
始発なので確実に座れる上に、乗り換えなしなので国立から通うよりも快適だった。
時間が読めないからと早く出過ぎてしまい、途中下車して東京豆漿生活へ。
思い出すだけでよだれが込み上げてくる美味しさ。


4/6
国立へ帰る。
今回は引越屋さんを使わずなので、4月一杯は行き来する予定。
まなちゃん家族にバッタリ。
引っ越したのによく会うね〜なんて笑われる。


4/7
逗子に戻る。
日文は安澄と一緒にSTORE展示で鎌倉へ。
文昌はお熱気味なので私とお留守番。とは言え元気なので線路横で大好きな電車を眺めながら二人でぼーっとする。


4/8
文昌本日もギャン泣き。
生後6ヶ月で預けていたのに環境が変わるとこうも違うのか。


4/9
仕事の日。
帰ると安澄のいびきと子供達の笑い声が寝室から聞こえてギョッとした(先に寝るなや!)。


今思えば妊娠1ヶ月(0W)

予定日から算出するに3/27から4/2が0w。

国立の家を引っ越す準備の傍で新しい園の用意なども進めなくてはならず、てんやわんや。
とは言え仕事を休むわけにも行かず、毎日があっという間に過ぎていった。


3/27
同時期に国立を越すことになったおかみとお別れ会。
急遽呼んだら来てくれたしーちゃんも交えて国立の誇るドイツ亭のピザで乾杯する。


3/28
文昌初めての散髪体験(と言っても1000円カットだけど)。
チャームポイントであるクルンとしたもみあげを残した結果、京本政樹のような髪型になってしまった。


3/29
日文は1歳半、文昌は6ヶ月から預けていた家庭的保育の最終日。
この保育園に出会えたことは子育てにおいて最初のラッキーだったと思っている。
近藤さん(園の代表)は保育に対してとても熱くて冷静な方。
初めて会った時はちょっと怖くて苦手かも?なんて思っていたけれど、子供はもちろん親にも寄り添ってくれて、幾度となく助けてもらった子育ての恩人。

最後のお迎えは安澄と二人で。
涙ぐみながらも最後の挨拶を終えて、次は日文のお迎えに。
日文はお別れということを理解しているので号泣も号泣。
担任の先生も嗚咽まじりで号泣していて、愛されていたことに感謝しながらのお別れとなった。

夜はかこちゃん宅で壮行会。
かこちゃんは私にとって国立の母!


3/30
国立のお家は大学通りに面している。
毎年家族だけで楽しんでいたお花見。
ラストみんなと楽しみたい!と企画したらば、30人ほど?いやもっと?来てくれて嬉しい最終日となった。
越してきたばかりの5年前には知り合い一人もいなかったのに。なんて思うとおセンチになっちゃう。


3/31
そして引越!
家族だけで最後に国立の桜を堪能(俺たちのロイヤルホスト!!)し、逗子へ出発。
いよいよ逗子での生活がスタート。


4/1
文昌の入園式。
この保育園に出会ってからあれよあれよと逗子行きが動き出した。
本当は日文を入れたかったのだけれど、受かったのは文昌のみ。
この人はやっぱりツイテイル人だと改めて思う。


4/2
文昌慣らし保育スタート。
二時間弱の保育の為日文と逗子散歩で時間を潰す。
お迎えに行くと文昌はギャン泣きだった。

2019年6月1日土曜日

近況


しばらく書かないうちに、子が1人増えて4人家族になった。
上の日文は3歳。下の文昌は1歳。
保育園に預けながら、なんとか日々を過ごしている。

今住んでいる国立の家は2014年の5月に越してきたので、もうすぐで5年。
子供達はここで生まれ、ここで成長している。




ここまで書いてまた放置してしまっていた。


今は6月。国立を離れ、逗子に越して2ヶ月が経過した。
そしてなんと半年後には5人家族になる(!)

ゴールデンウイークが終わり、日常が始まった途端に訪れたあの吐き気。
光ですら辛く、布団に潜り込んではひたすらに耐える。
これはきっとそうだ。と確信して検査薬を試すとそれはそれはくっきりと速やかに出た陽性反応。
見る見るうちに痩せ細り、これは耐えている場合じゃ無いと病院に行って点滴を打つ(3人目ともなると判断が早くなるね)。
母の日に初めてご対面した我が子はしっかりと心臓をパクパクさせて、こっちの気も知らずに気持ち良さそうにしていた。か、かわいい、、、

そこから一ヶ月。
妊娠悪阻で緊急入院したり、BMIが14.0パーセントになったり、記憶を失って気付いたらずぶ濡れだったりしたけれど、精神的にはなんとかギリギリを保てている(つわり日記はまた改めて書いておきたい)。

今回で最後になるであろう妊娠の記録。
前回の記録に今回もとても助けられたし、文昌の記録が無いことに反省しているので。