2015年11月19日木曜日

母性とは

時間がなかったわけでは無いのだけれど、なんとなく文章に出来ないままに娘は間もなく4ヶ月を迎えようとしている。


産まれた瞬間に自動的に母性が湧き出て、可愛くって可愛くってたまらなくなるものかと思っていたけれど、そんなことなかった。
お腹の中で未だ形として見えない時の方が断然に母性に溢れていたのに、産まれてからは母性はシュンと鳴りを潜めたようにどこかにいってしまい、正直戸惑った。
心から愛おしそうに娘を見つめる安澄を横目に、母乳量は大丈夫か、何時に寝たから何時に起きるな‥と、まるで観察日記をつけるように我が子と接する自分。
日に日に理想と現実との自分の感情のギャップにもやーんとした何かが広がっていく。
心から愛せていない私はゆくゆくは虐待なんかする親になってしまうのではないかとすら不安になり、夜な夜な安澄に相談したりもした。
安澄からみるとそんなことなど全く感じる事なく、私は母性に溢れているように見えるらしい。
大丈夫、ちゃーんとお母さんになっているよ。と、言われる度にえもしれぬ不安が広がっていった。

そんなこんなで迎えたお宮参り。
沢山の同じくらいの赤子とともに神殿に入り、いざ祝詞!というタイミングで一番にぐずりだす我が娘。
立つ事は出来ないので、両腕を出来る限り浮いた状態にして必死にあやし続ける。
10分が一時間にも二時間にも感じ、腕も限界を迎えた頃にようやく終了。
フーッとため息をついた瞬間に、不思議な感覚に襲われる。
あれ?この子ってこんなに可愛かったっけ??

参拝を済ませ、三星家の一行とともに食事処でお祝いの会。
抱っこ紐の中ですやすやと眠り続ける温かな娘を感じながら、無事にお宮参りを迎えられた喜びを家族でわかちあう。
家に戻り、ようやく目を覚ました娘と向き合った、まさにその瞬間。
カメラの焦点がググググっと合うように、他の景色が見えなくなり、娘だけがクリアになった。
ドバーっと溢れ出すこの強いものはなんだ!
あー愛おしい。
産まれてくれて、育ってくれて、ほんっとーーーーーーーにありがとう!
なんだよなんだよ!超超超超超可愛いじゃんかーーーーーーーー!!!!
と、自分でもビックリするくらいのTHE母性が込み上げてきて、安堵とともに涙がとまらなかった。

今考えると、出産もど安産。産後の肥立ちも良好。おっぱいの出も良好。娘の成長も良好!!といった順調っぷりに、元来の生真面目性格モードになっていたのだと思う。
私がちゃんとしなくては、この子は育たないんだ!
逆をいえば、私がしっかりしたらこの子は育つ!!!しっかりせねば!!なお姉ちゃんモードといった感じか。
常に緊張感を感じながら責任感の塊と化した私は、楽しむどころじゃ無かったみたい。


お宮参りを境に、笑っちゃうくらいに気楽になった私は、徐々に母親として、娘と向き合いながら生活を楽しむ余裕が出て来た。
先輩お母さんの友人達にに笑いながらこんなんだったんですよ〜と話すと、【私もそうだったよ〜可愛い!って思えたのは暫く経ってからだったな〜】と口を揃える。
教科書に書いてないことって一杯あるんだなー。


入院生活

産後は直ぐに母子同室。
4畳半ほどの部屋に産まれたての娘と私、安澄の3人で早速川の字になって横になる。

産まれて2時間はどの赤ちゃんも必ず起きているらしく、娘も目をしっかり開いて時々手足をパタパタと動かしている。
時間が止まったような穏やかな時間。
やっと目を瞑った娘を挟んで、二人でお産を振り返る。
つい今しがたお産をしたばかりなのに、もう随分昔のよう。
安澄はそっと頭を撫でたり、腕に触れたりと忙しい。
同じような写真を何枚も何枚も撮っては笑っている。
そんなこんなであっという間に面会終了の九時になってしまい、安澄は帰宅。

新生児はだいたい寝ているからと助産師さんに言われて安心していたが、夜の一時頃から目をパッチリ開けてお乳を欲しがり、気付けば朝を迎えていた。
会陰切開をしていないとはいえ、まだお股は腫上がっていたので、流石に座りっ放しの授乳はきつかった(しかしこの吸いっぱなしが功を奏し、お乳の開栓がうまくいった様子。初産とは思えない!と助産師さんに褒めてもらえるほどに、お乳がばんばん出てくれる事となったので今となっては良しだけれど)。


ご飯は入院しているお母さんたちと机を囲んで食べる。
事前に受けていた講習会で顔を見ていた面々が、皆揃いも揃って赤ちゃんを小脇に抱え、当たり前だけれどもうお腹はぺったんこ。そして不思議な事にもうしっかりお母さんの顔をしている。
おめでとうございますと互いに言い合い、それぞれのお産話に花を咲かせながら箸を口に運ぶ。
退院して行く人、新しくお産を迎えて加わる人。
大人になってから友達を作るのが下手くそになってしまった私だけれど、赤子を介しているからかあっという間に仲良くなれる。
5日間の入院生活は合宿のようでとても楽しかった。


退院の前日の夜、入院中の皆の旦那さんも交えて乾杯をすることになった。
お酒の力もあいまって、みんなフワフワと興奮しながらのご飯。
それぞれの、家族としてのお産体験を話し、笑い、とても幸せな時間を過ごす。
こんな愛しい入院生活も今日で最後なんだなーと思うと少し淋しくもあった。


退院の日は朝からお産があり、幸せな産声とともに退院の準備をする。
朝ご飯を食べて、産まれたばかりの一家を囲んで皆で梅酒で乾杯。
今さっき産んだばかりのお母さんの神々しいまでに美しい姿にじーんとなる。
5日しか違わないはずなのに、生まれたての赤ちゃんは本当に小さくて新品そのものだった。

今日は退院にあわせて八戸から母がやってくる、待ちに待った日。
娘が産まれてからやっと会える母。
娘を抱いてもらえる嬉しさと、自分が産めたという誇らしさとでドキドキしながら到着を待つ。
面会時間よりも早く母は到着し、初めて実物の娘を抱く。
嬉しそうな顔が忘れられない。

退院前の産湯の指導や測定を終えて、いよいよ退院。
たまたま出産に立ち会ってくれた助産師さんが集合していたので、みんなで写真を撮る。
ありがとうございました!とお礼をいいながら、感謝と寂しさで今までこらえていた涙が放出。
こんなにも素直な時間を過ごす事が出来たのは助産師さんたちのお陰だと心底思う。







2015年8月20日木曜日

お産の感想

夜の海は目が慣れるまでとても怖い。
辺りは真っ暗で何にも見えないばかりか、波にさらわれてしまうのでは無いかと動けなくなってしまう。
お産はまさにそんな始まりだった。

今まで体感したことの無い強い痛みを前にどんどん強張って行く私の体を、ひたすらにさすり続けてくれる助産師さん。
どんどん増すであろう痛みへの恐怖。
どれくらい続くのか分からないことへの恐怖。
ありとあらゆる恐怖で一杯だった頭の中が、手の温もりで次第に解放されていく。

皆に励まされ、褒められながら、お産は進んでいく。
こんなにも褒められたのは、随分と小さな頃以来。
今から母になるというのに、自分がどんどんと子供に返っていくようだった。

すっかり幼子になった私は、助産師さんに舵を委ねる。
恐怖はもうまったく無い。
痛みの元は【産まれて来ようとする強い力】ということに気付き、ただその強い力を感じる事に意識を集中させる。

産むのは私一人だけれど、ベテランの助産師さんは勿論、初めてのことでこれまた不安を感じているだろう安澄も一緒に頑張ってくれている。
波の合間に助産師さんや安澄と目を合わせてはしっかりと微笑む。
チーム一丸となってその時に向かっていく頼もしさに、次第に楽しい気持ちが勝っていった。

子宮口が全開になり、しばらくして破水。
内股にぴしゃぴしゃとかかる羊水の温かさを私はきっと忘れないだろう。
腹の子がこの温かなモノで包まれていたのだということにただただ安心した。

一層増した強い力をコントロールしながら、いよいよその時を迎える。
10ヶ月近くの間を共に過ごして来た腹の人が顔を出し、ホギャーと声を出し、臍の緒で繋がっていながらも自分の体から離れてしまう。
ほんの一瞬のことなのに凄く寂しくて、すぐさま胸に置かれた腹の人を抱きしめながら【おかえり】と声をかける。
まだ羊水やらやらを纏ったその人は熱く、柔らかで、まったくもって新品といった感じ。

しばらくして、腹の人は計測の為に安澄に連れられて部屋を出て行った。
その後胎盤を取り出す為に再度股へ意識を集中させる。
ニョロンと出てくる温かな胎盤の感触と重さ。
赤子が産まれようとする強さとは違う、穏やかな安堵のお産。


お産は私にとって、純粋に楽しくて、不思議で、達成感溢れる体験だった。
女性として産まれて来た事を初めて嬉しいと思った瞬間だったかもしれない。
腹の子を腕に抱き、泣きながら笑う安澄の顔が見れたことが、実は何よりも嬉しかった。



おしまい

2015年8月13日木曜日

誕生した日


ようやく7分間隔になり、助産院へ電話。
現状を伝えると、痛みのレベルがまたアップしたら電話してねとの指示を出される。
7分の壁を越えたら即入院出来ると思っていたので、電話を切ってから暫く放心状態。
いつになったら助産院へ行けるのか。。。

痛みが徐々に増し声を上げなくては我慢出来ないほどになるも、先ほどの電話の一件があるので出来ず。
何度も電話したら?と言われるも、また自宅待機指示が出されたら心が折れてしまうから。と、隣で心配そうに腰をさする安澄を見つめながらひたすらに痛みに耐える。

痛みの間隔も短くなり、痛みというよりも精神的に家に居るのは限界!と感じた午前四時、勇気を振り絞って助産院へ電話。
待ちに待っていた【じゃあ来ちゃおうか。】の言葉をもらい、急いで陣痛タクシーを手配する。

ものの5分で到着したタクシーに乗り込み、安澄と二人助産院へ向かう。
明け方ということもあるだろうけれど、一度も信号につかまらずに助産院へ到着した。
うっすらと明るくなり始めた空を眺めながら、晴れの日に産まれてくるんだなーとぼんやり思う。

AM4:30
通い慣れた助産院のドアを開けると、助産師のぷうちゃんが迎え入れてくれた。
矢島助産院には助産師さんが10人ほど居るので一度も会った事の無い助産師さんの可能性もあったけれど、何度も検診で診てもらっていたぷうちゃんだったことがただ嬉しかった。

一度診察をしましょうと診察室で触診。
おしるしはしっかりとした鮮血になり、子宮口は5センチ開いているという。
この調子だと今日中に産まれるねと朗らかに言われるも、まだまだかかるという事実に正直びびる。

触診後、四畳半ほどの一室へ移動。
長丁場になるので旦那さんも眠れるうちに寝ておいてくださいねということで、手を繋ぎながら二人で横たわる。
腰にあてがわれたぷうちゃんの手の温かさに安心して、いつの間にかフワフワと眠っていた。

痛みの間隔もレベルもどんどん高まっているけれど、ぷうちゃんがいるという安心感で心はどんどん解放されていく。
解放された心と比例して、声もどんどん大きくなっていく。
休んでは声をあげ、休んでは声をあげ、、、、
痛みというより、エネルギーの塊が股の間から飛び出そうとする強い力。
そのエネルギーの塊をしっかり感じながら、ぷうちゃんを信じて呼吸を整える。
いつの間にかぷうちゃんだけだった助産師さんが一人増え二人増え、気付けば四人の助産師さんが側に居てくれた。
助産院の主、床子さんに娘の藍さん。そしてれいこさん。
皆の声に励まされ、痛みへの恐怖が薄くなるとともにどんどん景色がクリアになる。
汗をこまめに拭きながら、しっかり手を握り励まし続ける安澄の顔。
状況を見ながら適切に誘導してくれるぷうちゃんの美しい凛とした顔。
いつも通りの床子さんに優しい笑顔で微笑む藍さん、真っすぐに見つめてくれるれいこさんの顔。
頼もしい皆に囲まれ、見つめられ、沢山褒めてもらいながら、自分がどんどん子供に返っていくような気持ちになった。

ぷうちゃんの介助で子宮口が遂に全開になり、しばらくして破水。
羊水は当たり前だけれどとても温かくて、内股にかかるたびにその温かさに安心する。
頭が見えて来たよ!触ってみて!と言われ手を伸ばすと、少し柔らかな頭部を覆う髪の毛に触れる。
目で見れない分、その感触があまりに鮮明で、指先を通して全貌が見えるようだった。

強い痛みの時は高い声で息みを逃し、痛みが遠のいたら力を込める。
ファーファー んんんんんっ ファーファー んんんんんっ
何度繰り返した頃だろう。
ぷうちゃんにここでググッと息んでみよう。と言われ、渾身の力を込める。
息を吐くのと同時に股の間がググっと熱くなり、間もなくホギャーという鳴き声が聞こえる。
まだ顔しか出ていないのに、力いっぱいに声をあげる赤子に皆が声を揃えて笑う。

自分で取り上げよう!と床子さんに言われ、迷い無く安澄に【取り上げて】と伝える。
しっかり頷き、両手を伸ばして赤子を取り上げる安澄。
ほどなくして私の胸に温かな温かな赤子が手渡された。
しがみつくようにピタッとくっついてくるその姿に、初めて会うのに【おかえり】と言ってしまう。

PM11:22
やっと会えた我が子。
やっと会えた二人の子供。
安澄は顔をくしゃくしゃにして笑いながら泣いていた。

2015年8月4日火曜日

予定日から予定日超過

予定日

特に変わらぬ腹のぼんやりした痛みとともに朝を迎えるも、眠気が酷くて起き上がれない。
昼ご飯を食べた後もまた布団に入り、結局夕方4時くらいまで眠っていた。
産まれる間際になると無性に眠くなる人が多いと聞くのでいよいよなのかも。

寝ている間に出かけていた安澄も帰宅。
無事に予定日を迎えられたお祝いにと緑色のバラをプレゼントしてくれた。
その気持ちが嬉しくて、妙なテンションになる。

夜はジンクスにあやかろうと焼き肉を食べに出かけた。
今日は一日中寝ていたので運動をしていない。
ぐるっと散歩しながら、沢山の話をしながら、焼き肉屋さんに向かう。
欲望に任せて注文し、あっという間に平らげる。
カルビ、ハラミ、ロース。
腹の子が産まれたらなかなか食べに来られないからと、好きなだけ食べた。

帰る前にトイレに行くと、パンツに茶色い染みがついている。
【おしるし】だろうそれを暫く凝視し、一つ大きく深呼吸。
安澄に伝えると嬉しそうな顔をしながらも、顔の奥の筋肉がギュッと引き締まったような感じ。
本当にいよいよなんだね。と歩きながら帰り、もしかしたら今日かもしれないということで安澄に早々と眠ってもらった。


予定日超過一日目

朝から定期的な痛みが訪れ、トイレに行く度におしるしもあるものの、未だだろうなーとぼんやりわかる。
折角だからと行きたかったお店にかき氷を食べに行くも、ガッカリ。
あまりの氷の固さに、店員さんにこれが正解なのか?と聞いてみようかと思う程だった。
最後にしようと思っていたかき氷だけれど、これで食べ納めることなんてとてもじゃないけど出来ない。
明日は別のかき氷屋さんに行くことを決心して店を出る。

夜はFC東京の試合があるので三星実家でテレビ観戦。
妊娠してスタジアムに行けなくなってから恒例になったこの時間がいつの間にか大好きな時間になっている。
頼んでくれたピザを皆で頬張りながら、選手のプレイに一喜一憂。
予定日を超えて少し焦っていたけれど、三星のお父さんお母さんのおおらかな優しさに触れて心が穏やかになる。


予定日超過二日目

深夜から痛みのレベルがアップし、合間をぬって眠る。
朝7時頃からは10分ごとの定期的な間隔になったので8時を待って助産院に電話をした。
7分間隔になったらまた電話するように言われたので、陣痛が早まるように床のぞうきんがけをしたり、スクワットをしたりして過ごす。

昼になってもなかなか縮まらない陣痛の間隔。
7分の壁はなかなかにして高い。
体育会系の血が騒ぎだし、アスリートモードへ突入した私は安澄の心配をよそにタイムを縮めることに躍起になる。
ちょっとそこまでの散歩がいつの間にか二時間の散歩となり、その合間にかき氷まで並んで食べるという今考えればおかしな行動をしたりもした。
(一時間弱並んだかき氷の行列では安澄の知人にばったりお会いして、陣痛まっただ中という状況に驚愕される。確かに、そんな状態で行列に並ばないよな。。。。)
10分歩いては痛みでうずくまり、また歩いてはうずくまる。
されど陣痛の間隔はなかなか縮まらず、7分間隔になったのは夜の11時だった。




2015年7月19日日曜日

臨月(39週4日目〜6日目)

39週4日目

昼の体調が芳しくなかったけれど夜に尚子と玲子が国立まで来てくれたので夜ご飯を一緒に食べる。
産む前に、まだ自分だけとして二人に会えた事が嬉しくて、とっても自由な気持ち。
きっと家族以外で会うのはこの二人が最後になるだろうなーという思いながら、大好きな二人にしっかりと腹を撫でてもらう。
またまた腹に力が入る一日だった。

39週5日目

39週検診の為助産院へ。
体重測定・むくみのチェック・心音検査・エコーと進めるも、心音がいつもとちょっと違う。
助産師さんから時間はあるかと聞かれ、別室で30分程心音のチェックをすることになった。
検診の結果は大丈夫ということで帰宅したのだけれど、心の中はざわざわしっぱなし。
こうしている今も苦しんでいるのでは無いか?
もう陣痛とか待たなくていいから、帝王切開でもいいから、早くこの窮屈な場所から出してあげたいと祈るように腹を擦り続ける。
昼ご飯に立ち寄ったビックリドンキーでも涙は止まらず、家に帰っても止まる訳なんて無い。
安澄はここまできたのだから信じるしか無い。大丈夫。助産師さんたちは皆信用出来る人たちじゃない。と目を見ながら頭を擦ってくれる。
それに、腹の人も俺らに会いたいに決まってるんだから。と。

悪阻の辛かった時期に土屋産婦人科の先生に言われた、赤子は生命力の強すぎる寄生獣という言葉をお守りがわりとし、腹を抱きかかえながら眠った。

39週6日目
腹の人の力強いキックで目を覚ます。
大丈夫だよ!と励まされている気がして肝が据わる。
昨夜は気付くと安澄が私の腹を撫でてくれていた。
ぐっすり眠る人なので、本当に無意識にしてくれていること。
メソメソなんてしていられないなーと、家の中の気になっていた事に手をつける。
掃除にクッションカバー作り、その他諸々の配置換えを済ませた頃にはもうすっかり元気になっていた。

安澄は午後から大学の授業だったので、帰る頃に併せて駅まで迎えに行く。
臨月に39週になってから、骨盤が更に開いたからかよく転ぶようになった。
4日前に転んだ時と同じく、なんにも無い道ですってんころりん。
前から来た大学生くらいの男の子2人組が駆け寄りながら、お腹は打っていないか?と立ち上がらせてくれる。
その後、びっくりするくらいのしっかりした声で気をつけてくださいよ!と注意された。
世の中は安保条約だなんだかんだと騒がしい。
どんな未来になってしまうのかはわからないけれど、こんな大学生もいるんだから大丈夫な気がする。

臨月(39w0日目〜3日目)


39週0日目
お知らせをもらってから行きたい!と思っていた西本さんといづみさんの展示に。
予定日より早まったら行けない、ちょいとギリギリの日程だったので腹の子に感謝。
えっちらおっちらやぼろじまで歩くと、運の良い事に二人とも居たのでお話することが出来た。
西本さんの作る木工。いづみさんの作るパッケージ。
絶妙なバランスで保たれた作品は、想像を裏切る作品となっていた。
お互いの個性をしっかり打ち出しながら、一つのものに収まる感じ。
個々の作品を見た事はあれど、相乗するとこうなるのか!!
きちんと自分の目で見れた事が嬉しかった。

その後南武線で立川へ。
これまた日程ギリギリだった【ばけものの子】を鑑賞。
これから子を育てていく身としてなのか、刺さるものが大きくてだいたい泣いていた。
泣きすぎて肩で息をするほどだったのに、他のお客さんで泣いている人なんて一人も居なかったけれど。。。
家に帰り、【おおかみこどもの雨と雪】をビデオで鑑賞。
もう何回と見ているのに、見る度に印象が変わる。
この映画は私にとって今の生活に飛び込むきっかけとなった作品。
最後の音楽の歌詞が今の自分に突き刺さる。

まだ見ぬあなた 逢えますように
おなかをさすり いつも願った
ふうう ふうう どんな かおしてるかな
ふうう ふうう どんな こえをしてるの

39週1日目
今年はもう無理かね〜なんて諦めていた花火大会。
まさかの府中競馬場で行われることを前日に知り、急遽見に行く事に。
30分というわずかな時間だったけれど、競馬のファンファーレとともに打ち上げられる花火の豪華さにテンション上がって満足度もMAX!!!!!
安澄なんか奇声をあげて、外国の人のようだった。
競馬場ならではの設備の奇麗さ、フードコートの充実ぶり、どれをとっても心地よくて、
子連れで来るにはちょうど良い花火大会じゃないかしら。
来年は三星のお母さんと腹の人と一緒に来たいなーとぼんやり思いながら帰宅。

39週2日目
もう国立から出ないほうが良いのは分かっているのだけれど、どうしても諦められずに吉祥寺のかき氷屋さんへ向かう(実のところ前日も行ったのだが、目の前で売り切れとなってしまった)。
席について目当ての白桃かき氷を注文すると、売り切れとのこと。
あまりに絶望的な顔をしていたからか、店主がまだ追熟していないけれど。。。と白桃を切って食べさせてくれた。
その甘さ、香り。今思い出しても夢のような瞬間だった。
白桃の代わりにきなこ黒蜜を頼み、こちらの美味しさにも唸る。
これでもう本当に思い残すことは無い。

39週3日目
尚子と待ち合わせてお昼ご飯。
ファンシーなお店に似つかわしくない、痔の話やお尻の拭き方などで笑い転げる。
尚子は再来週から試験があって、休みの日は勉強に費やしたいはずなのにありがたいこと。
悪阻で絶不調のふさぎ込んでいた時期も、国立まで足を運んでくれては、馬鹿な話で笑わせてくれた。
妊娠してから沢山の優しい気持ちに気付かされたけれど、尚子には本当に頭が上がらない。
私がハッピーな妊婦生活を過ごせている大きな一つは間違いなく尚子のおかげだと思う。



2015年7月17日金曜日

臨月(38w)

38週0日目
11回目の検診の為助産院へ。
今日も腹の子は元気にドクドクと心臓を打っている。立派な背骨と立派なへその緒。
相変わらずの可愛さに二人でニンマリしてしまう。
次の検診の予約をするも、その前に産まれる可能性もあるわけだ。すごい・・・。
まだ横向きでいるようなので四つん這いするように指導を受ける。

検診後はしいちゃん宅へ。
美味しいご飯の数々と会いたかった面々にまたも元気をもらう。
しいちゃんのサバ寿司、本当に美味しかったな。

その後立川へ移動し、マッドマックスを鑑賞。
観終わった後の偏差値がだだ下がったような感覚がすっごく爽快で、サイコーサイコーと笑いながら帰宅した。
安澄と付き合ってから今まで見向きもしなかった映画も観るようになった。
そして大抵がどはまりしている。

38週1日目
夜は眠れず、やっと起きたら昼近く。
安澄は晴れの合間の庭いじりにご満悦の様子でスッキリした顔をしている。
ホットケーキを作ってくれ、あまりの美味しさに一人で三枚も平らげる。
夕方はたーちゃん宅で甥っ子とたこ焼きパーティー。
最初は焼きがうまくいかず二人で変な汗を出すも、なんとか成功させて面目を保つ。
甥っ子の小さな時のビデオを流してもらい、その姿にじんわりとする。

帰宅後しばらくすると子宮が今までに感じたことの無い硬さになる。
なんだろうなんだろうと腹を擦っていると妹からのメール。
陣痛が来たから病院へ行ってくるとのこと。
ライカの時ともソウマの時とも違う祈りの気持ち。
自分の腹をしっかりと抱えながら案じていると、二時間後に産まれたよ!のメールが届く。
安産も安産。

38週2日目
羊肉にがぶつきながら白ワインをたしなむ。
りかさんからの思い残すことは無いか?の問いに全く無い!と答えられた事に幸せを感じる。
妊娠が分かってから本当に色んなところに行けた(横須賀、花敷温泉、金沢、山梨、白骨温泉、静岡)。
これでもか!というくらい二人で沢山のデートをしたし、沢山の会話をした。
腹の子のおかげで、二人はもっと良い関係になれたと思う。

7月から産休に入るはずの安澄だけれど、打ち合わせが入ったりなんだりで仕事が続いている。
そのことで心が焦り気味。漠然とした不安が大きくなっているのだろうと思ったので散歩に誘う。
産休に入るという気持ちが嬉しいということなど、二人で歩きながら心の整理をする。

38週3日目
リビングの机を新しくしようということでフルスイングさんに依頼。
その為の打ち合わせで八王子へ向かう。
つかの間のドライブがとても楽しく、浮かれる私。
机は想像していたよりも素敵なものを作ってもらえそう。
腹の子と一緒に育っていくダイニングテーブル。
知り合いに(しかも二人が仲良くなるきっかけとなったフルスイングさんに)作ってもらえるなんてありがたいことだ。

38週4日目
そんなこんなで予定日まで10日。
これから迎える大仕事に少なからず緊張している日々なので無性に甘えたくなる。
前駆陣痛と呼ばれる不規則な痛み。
トイレに行く度におしるしは無いかと確認するドキドキ。
それを察してか、安澄は今までよりも更にマッサージの時間を増やしてくれるようになった。
*妊娠線が出来なかったのは間違いなく安澄の努力の賜物。
奇麗なお腹だねー!とどの助産師さんにも褒められるのだけれど、その度に安澄に感謝している。毎晩毎晩欠かさずにケアしてくれて本当にありがとう。

38週5日目
39週検診。
正位になり、子宮底も下がっていていると言われた。
ジンクスにあやかろう!ということで焼き肉を食べに行く。
帰宅後、安澄は仕事。私は昼寝。
夜ご飯はチキンのマスタード焼きとマッシュル−ムのサラダ・スープとパン。
布団に入りながら船を編むを鑑賞。

38週6日目
朝起きると安澄のパソコンの音がパチパチとなっている。
本を読んでから洗濯をまわし、掃除機をかけてカーテンを縫う。
安澄が家に居るというだけで心がリラックスして時間を有意義に使う事が出来る。
二人で朝ご飯を食べて安澄は仕事へ。
今日は子どもが産まれたら手の込んだ料理を作る事が出来なくなるので、安澄にコース料理を作る日と決めていた。
材料の買い出しを終えて、台所に立つ事二時間。
全ての下ごしらえを済ませて、安澄の帰りを待つ。

帰宅後始まった割烹愛美。
作っては食べ、作っては食べと動き回りながらなので忙しいなれど、今まで見た事の無い程に喜ぶ笑顔に疲れも吹っ飛ぶ。

臨月(36w〜37w)

いよいよ明日が予定日。
産まれる前に書き留めることが出来てよかった。

36週0日目
助産院の後期学習会に参加。いよいよ感が増す。何人もの臨月妊婦とその旦那さん。
ここにいる全ての腹の子が無事に誕生を迎えられますように。と誰にでなく祈る。
私もようやくこの日から臨月。
どんなにこの日を待ちわびていたか。

36週1日目
腹の人に絵本を読んであげる。
最初の一冊は【はらぺこあおむし】。

36週2日目
おみずとお子達と新宿で。
お腹の中から知っていた二人の成長は勝手ながら感慨深い。
同じ親から育てられた人でも、一人一人個性があって、全くの別の人。
それをきちんと認めながら、向き合いながら育てているおみずの姿に身が引き締まる。
子も育つけれど、親も育つのだ!と思ったら、自分の未来も楽しみになった。
私はどんな親になるのだろう。腹の子を介してどんな風に育つのだろう。

36週3日目
梅雨の合間の今しかない!!ということで腹の子の洋服を水通し。
小さなハンガーにかけられた小さな服が風にたなびいている。
嘘みたいだなーと、ずーっと眺めていた。
飽きもせずに。

36週4日目
尚子と念願のひみつ堂へ。
熱い中で待ったこともあり、かき氷は絶品だった。
私は文旦とレモン。尚子はイチゴヨーグルト。
尚子といるだけで心が穏やかになる。

夜は安澄と外食。
最後に二人でゆっくり食べるお店として選んだのはやっぱり【のらぼう】。
普段はどちらかというと聞いていることが多い安澄がとても饒舌。
帰り際まきおさんに腹を撫でてもらい、泣きそうになった。

36週5日目
おかみさんのお家へ。
まだ知り合って数月なのに一緒にいてとても心地良い人。
をもちのお下がりをお借りしたり、出産後のアドバイスをしてもらったりとあっという間に時間が過ぎた。

37週3日目
アラタさん、撮影の為我が家へ。
普段見たことの無い器具が運び込まれ、あっという間に我が家がスタジオになった。
安澄との二人の写真、私だけの写真。
この大きくなった腹がアラタさんの写真として残されるなんて、とっても幸せなことだ。
シャッターを切られるたびに心がぎゅーっと奥に引っ込んでなんともいえない状態になる。
楽しみ、愛しい、不安、葛藤、でも愛しい、感謝。沢山の感情がとめどなく溢れ、気付けば涙がツーツーと流れていた。

37週6日目
最後の母親学級的なものへ。
母子手帳の項目が全て埋まり、助産師さんに驚かれる。
変なところで真面目な私。仕事もあったのによく通ったもんだ。
産む時のあれこれを習い、本当にいよいよと言う感じ。
夜、キューっとした子宮の激痛で目を覚ます。
これが前駆陣痛と呼ばれるものなのか。
奥歯の噛み締めて痛みに耐えていたからか、翌日の顔のむくみが半端無い。

九ヶ月(32w〜35w)

32週0日目
国立市の赤ちゃん教室のパパ学級の日。
普段はママだけ参加が多いので、初めましてのパパさんばかり。
結局どのお母さんお父さんともきちんと話すこと無く、今回も二人でとぼとぼ帰宅する。

32週3日〜4日目
安澄35歳の誕生日のお祝いに白骨温泉へ。
二人だけの旅行はこれで暫くお預け。
極上のうなぎを食べたり、気持ちの良い温泉でゆっくりしたりと、特に予定をたてないのんびりした旅。

32週6日目
産休に入るため、最終出勤日。
細々とした引き継ぎもなんとか終わらせることが出来た。
休職からの復帰は精神的にも体力的にもやはり辛いことが多かった。
体力消耗や、また倒れて迷惑をかけるのでは無いかという不安も含めて。
なんとかこの日を迎えることが出来たのは、職場の協力・理解は勿論なのだけれど、安澄の支えがあったからこそ。
腹の子に無理をかけたことを謝りつつ、ガッツポーズで帰宅した。

33週0日〜1日目
最後のカフェ営業。
1日目は玲子とのどんころ給食堂としての営業。
2日目はサンキュー産休パーティーと称しての貸し切り営業。
この二日間は夢のようだった。
沢山の人に腹を撫でてもらい、腹の子も始終ご機嫌だったように思う。

33週2日目
産休初日。
特に何をするで無くのんびり過ごす。
夜はゆみちゃんの生誕祭りへ。
仕事に迷惑をかけたくないという精神的呪縛から解き放たれたからか、体調もすこぶる良い!!

34週2日目
体調快調もつかの間、新宿へ向かう電車で立ちくらみ。
途中下車するも回復せず、約束をリスケしてもらう。
やはり一筋縄ではいかない妊婦生活。
夜に吐くことも増えてくる。

34週4日目
腹が小さい小さいと言われることが多い。
私の見た目はそうだけれど、腹の子は標準的に育っているので、窮屈では無いかと心配になる、週数を重ねるほどに少しずつ不安も増えていく。
こんなにも愛しくなってしまった存在を無事に生み出すことが出来るのか。
初期の実感の無い(生育に対する)不安とは違い、もう全く以て別の人として生きている腹の子の人生を。きちんと迎えさせてあげたい。
元気に産んであげれますように。

35週4日目
部屋の配置を変更。安澄の仕事部屋も勝手に作る。
細々したことが気になって仕方なく、整理整頓で一日が終わった。
巣作り本能というらしい。
部屋の空気が気持ちよく流れ、満足。

35週3日目
妊娠中にしたいことリストのひとつ、ホテルオークラのフレンチトーストをクリア。
五時に起きての出発はハードだったけれど、美味しさと空気感に二人とも大満足。
午後まで一緒にいてくれるとのことだったので、代官山に立ち寄ったりとちょっとしたデートも出来た。
産休に入ってからの安澄欲が半端無い私にとって、このうえないスペシャルな一日だった。

35週5日目
検診にて腹の人は2500グラムと言われた。
夜は國時さん夫妻とご飯。
二人とも初妊婦なのでそんな話を中心に。
さおりさんはほとんど悪阻症状が無かったらしく、人それぞれ違うんだなあと改めて思う。
私の周りには妊婦さんが居ないので、まさに今の痛みとかマイナートラブルの話が出来てとても楽しかった。
さおりさんが妊婦の腹って公共的なものだよねという言葉に納得。



八ヶ月(28w〜31w)

28週0日目
好きな料理家さんの料理教室へ。
丁寧な下ごしらえで料理は変わるんだ!と目から鱗の体験。
妊婦と気付かれ、私だけ座ったままで講義を受ける。
元気な赤ちゃんをね。と言ってもらいとても嬉しかった。
夕方からは自宅で餃子パーティー。
なんとか料理をこさえるもやはり通常とは違って動きが悪い。

28週1日目
名古屋からの友人夫妻とあらなこ夫妻と私達でくしま食堂へ。
名古屋夫妻の旦那さんがはんこ職人と知り、我が家の印鑑を作成していただくことにした。
どうせ作るならば、気の置ける知り合いに作ってもらいたいというのが私達二人のいつもの意見。
出生届けのこともあるので購入せねばねーなんて話していた矢先の出来事だったので運命を感じる。

29週0日目
野老さんのご自宅へ。
つい半年前は赤ちゃんだったのにすっかりお姉さんになったりみちゃん。
色々な人が現れ、安澄も楽しそうにお酒を飲んでいる。
帰り際、りみちゃんのお下がりを腹の子用にともらう。
初めての腹の子の洋服。
びっくりするほど小さい。

29週3日目
お下がりをもらったので、これを機に洋服を買ってあげようと言うことになる。
二人で選ぶ、初めての洋服。
どれもこれも小さくて、こんな日を迎えられたことが嬉しくてたまらない。
小さな紙袋に入った3着の洋服。
しっかり抱えながら、泣き出してしまう。
妊婦は涙もろいから大変だ。

30週1日目
人間交差点というライムスター主催のフェスへ。
腹の子の初フェスはまさかのヒップホップだった。
炎天下のなかで休む場所もままならず、途中でリタイア。
セイホー!を生で体験するとは、人生は何がおこるか本当にわからないものだ。

30週3日目
お通夜への出席は安澄だけ参列して、私は近くのファミレスで帰りを待つ(妊婦は行かない方が良いというので)。
死に方はその人の生き様なんだなーと思う。
とてもその人らしいお別れの仕方で、不謹慎かもしれないけれど格好良いとさえ思った。
安澄はその人の訃報を聞いてからというもの、ふとした時に涙ぐんでいる。


2015年7月16日木曜日

七ヶ月(24w〜27週)

24週3日〜25週1日目
母が八戸から遊びにくる。
前回は悪阻で痩せ乾涸びた姿だったので少し太った私に安心した様子。
お腹のふっくら加減と胎動に嬉しそうな顔。
滞在中は奉納相撲を見たり、蕎麦を食べたり、一緒に検診で腹の子のエコーを見たり、幼い頃に習っていたバレエの発表会に行ったりして過ごす。
母と二人きりの時間は考えてみれば久々。
これから子どもが産まれ、こんな機会は無いのかもしれないと気付く。
意識していなかったけれど母親と娘との二人の時間もきちんと過ごせたことに感謝。
桜を見ながら毎年この時期に来たいなーとつぶやく母。
誕生日のお祝いは毎年この時期の新幹線のチケットにしようと心に決める。

25週1日〜2日目
午後、浅草で待ち合わせて玲子と尚子と旅行へ出かける。
3人での旅行は初めてのこと。
お菓子を沢山買い込み、電車でも宿でも馬鹿話ばかりして過ごす。
裸を見せないでおなじみの尚子とまさか一緒に風呂に入れる日が来るだなんて思ってもいなかった。
出産までにしたいことリストの一つ。
大好きな友達との旅行が叶い、二人にとても感謝した。

26週0日目
前から気になっていた右脇のしこり。
あまりに大きく、痛くなってきたので病院にいくことにした。
癌では無いけれど、このしこりは異常と言われ、なんの説明もないままに麻酔を打たれて生検検査。
妊娠中の麻酔って大丈夫なのだろうか。。。
乳首の検査をされてじんわりと液が出てくる。
この日を境に気付けば。。。ということが多くなり、不安が増す。
http://hanajirushi.blogspot.jp/2015/07/blog-post.html

26週3日目
助産院にて逆子と言われる。
逆子になると助産院では産めないので逆子体操をしっかりするようにと指示を受ける。
この逆子体操。
一見楽そうにみえるが、めちゃくちゃきつい。
でも腹の人の為。
毎晩しっかりやろうと思う。
午後は国立市の赤ちゃん教室へ。
市ならではの不思議な空気感の中で安澄と二人で参加する。
小学校や中学校で一緒になるお母さんたちなんだよなーと思うも、なかなか話かけることも出来ずに二人で今後を心配しながら帰宅。

27週0日〜1日目
二人の思い出旅行のため金沢へ。
前もって調べ、予約していたお寿司屋さんと天ぷら屋さんをメインに食の旅。
甘味処も行きたいお店は全て制覇し、二人で沢山の会話をする。
腹の子の事は勿論だけれど、二人での生活の彼此を振り返る。
さすがに遠出の旅行はこれで最後。
帰りの新幹線でも始終手をつないでいた。


27週3日目
助産院での検診にて逆子が直っていることを知る。
正直、逆子体操がきつかったので心の底から安堵した(真似した安澄は5分と続けられなかった)。
その後、第二回目の国立市の赤ちゃん教室へ。
やはり他のママさんとの交流は無し。
二人でやばいかもねーと、またも今後を心配しながら帰宅。
社交性が私達にはあまり無いということで話が落ち着くも、どうすれば良いものか。



六ヶ月(20w〜23w)

20週0日目
4Dエコーを動画に残しておきたく、自費のクリニックへ。
性別は女の子ではないか?とのこと。
三星家は男の子ばかりなので、まだ性別は伝えないようにしようと安澄が言う。
どちらでも嬉しいと言っていたけれど、女の子と聞いてからは目尻がめちゃくちゃ下がっている安澄。
腹に話しかける声も心なしかより優しくなっている。
その後玲子の誕生日会。
嬉しそうな玲子の顔を見れてホッとする。

20週3日目
助産院でのマタニティクラスと初検診。
土屋産婦人科での検診とは全くもって異なり、始終穏やかで会話しながらの検診。
ここでも女の子では無いか?とのこと。
またも安澄の目尻が下がる。

22週0日目
六ヶ月検診で土屋産婦人科へ。
これといったことも無く、順調とお墨付きをいただく。
体調が良かったので、そのまま味の素スタジアムでサッカー観戦。
やっぱりスタジアムで見るサッカーは格別!!!

22週5日目
助産院の中期学習会に参加。
食べ物のコトや日々の過ごし方などを学ぶ。
帰り道、何にも無いところですっ転ぶ。
元々何も無い道でも躓く私だけれど、すっ転んだのは久方ぶり。
あっという間の出来事なれど、しっかりお腹を守っていたようで、ちゃんと実感しているんだなぁーと我ながら感心する。
左掌と右頬で地面をキャッチし、添えた右手の甲でお腹をガード。
咄嗟に付いた両膝は勿論、ありとあらゆる痛みがお腹だけは守ろうと動かれた事を物語っている。
ちょっとのバランスでも身体が上手いこと動かせなくなるのだからこれからの4ヶ月はもっと慎重に過ごさなくてはなあと身を引き締める。


五ヶ月(16w〜19w)

16週0日目〜1日目
hanajirushiの営業日。
予め玲子メインでの営業をお願いし、私は補佐としての立ち位置。
一日目の営業はなんとか過ごせたものの、無理がたたり帰宅後立ち上がれなくなるほどに悪化。
二日目の営業はお休みさせてもらう。
玲子にとても迷惑をかけてしまった。

16週2日目
職場へ復帰。
二ヶ月弱のお休みをさせてもらい沢山の迷惑をかけたはずなのに、笑いながら迎え入れてくれる。
時折訪れる息切れなどの症状はあるものの、気を張っているからか大丈夫そう。
復職祝いに安澄がヒラタパスタを奢ってくれた。

16週6日目
マタニティーマークを落として凹むも奇跡のような出来事に歓喜する。
http://hanajirushi.blogspot.jp/2015/02/blog-post_6.html

17週2日目
土屋産婦人科での五ヶ月検診。
血糖高値のため再検査。
http://hanajirushi.blogspot.jp/2015/02/5.html

17週4日目
疲れと冷えを改善するため、近所の温泉へ。
なんとなく不思議な感覚を感じていた最近だったが、あっ!これが胎動だ!
と確信する程の力強い内部からの刺激に歓喜する。
ポコポコと水が沸き出すような感覚。

17週5日目
胎動を感じてからは頻繁にわかるようになる。
夜に横になっているとまたぽこぽこが始まったので安澄の手をおもむろに腹に導く。
安澄の嬉しそうな顔!!

18週1日目
戌の日祈願
http://hanajirushi.blogspot.jp/2015/02/blog-post_18.html

18週3日目
安澄からのプレゼント
http://hanajirushi.blogspot.jp/2015/02/blog-post_24.html

19週0日目〜1日目
二人の思い出を作っておこうということで花敷温泉へ。
車中はもっぱらお腹の中の人の話。
二人なのにもう三人みたいだねと笑う。
お宿は一日に数組限定なのでとても静か。
囲炉裏にあたりながらゆっくりと手の込んだ食事をいただく。
食前酒を飲んだら、久々のアルコールで結構酔っぱらう。
陽気な私を見ながら、とっても嬉しそうな安澄。
まだ本調子ではないので食事の途中で吐いてしまうも穏やかな夜を過ごす。
朝食がこれまた絶品で、私は馬鹿みたいにご飯のお変わりを繰り返す。
結局4杯平らげ、これまた安澄がとても嬉しそうだった。



四ヶ月(12w〜15w)

13週4日目
妊婦検診の為土屋産婦人科へ。
採血4本で手こずり、ふらふらになる。
この日から経腹エコー。細い腕を懸命に動かす腹の子に二人でオーオーと声を上げる。
形も赤子らしくなってきていて、愛おしさが増す。
胎盤が出来あがるまでは栄養面はなんとかなるとのこと。
偏っても良いから食べること。そして水分をしっかり摂ること。

14週0日目
吉祥寺で待ち合わせ、暫しのデート。
昼間の食欲が少し出て来たのでイクラのお寿司を食べる。
サーモンは見るだけで吐き気を催すのに、他の生ものは平気なのは何故だろう。

14週3日目
少し悪阻が落ち着いてきたような気もする。
ご飯を作りたい!という衝動が戻って来たことが嬉しく、久々に台所にたってご飯を作る。
帰宅した安澄はご飯が出来ていることに驚き、むしゃむしゃと嬉しそうにご飯を食べる。
悪阻開始とともに五感の感覚がアンバランスになり、満足出来る味が作れない。
味の想像が下手くそになったというか。
不意に戻ったその感覚に、体全体が料理をするモードにカチッと切り替わる。
手の感覚、目の感覚、鼻も舌も、頭の中も。


14週6日目
産みたいと思っていた助産院の初回説明会へ安澄と出席。
助産院とはなんぞや?の安澄も、終わってからはここで産もう!と乗り気。
ここでなら里帰りしなくても不安なく産めそうだと自分自身も安心する。
温かく清潔で、とても心地の良い場所だった。
人気がある助産院だったらしく、予約が取れるか不安だったけれど大丈夫とのこと。
産む場所が決まった。
http://hanajirushi.blogspot.jp/2015/03/blog-post.html

15週2日目
三星家でピザをごちそうになる。
悪阻悪化でとても心配をかけていたので、一口頬張るごとにとても嬉しそうに目を細めてくれる。

15週4日目
出かけ先の立川の駅ビルでいつのまにか眠ってしまって、3時間。
もう間もなく仕事に復職するのに大丈夫なのか。。。。
http://hanajirushi.blogspot.jp/2015/03/blog-post_14.html

15週5日目
悪阻の最中、モチベーションにしていたのは回復した後の外食だった。
第一発目をどこにするか?
そればかりを考えて過ごし、ようやく落ち着いてきたので予約をして向かう。
【のらぼう】でのご飯は味は勿論、心も満たしてくれる私にとってかけがえの無いお店。
食後、まきおさんに悪阻の時の心の支えだった旨を伝えると、大きな笑顔でうなずいてくれた。
頑張った自分へのご褒美が出来たこと、何より二人でのらぼうへ行けたことが嬉しくて、スキップしながら国立へ帰宅した。
この悪阻の日々を常にサポートしてくれた安澄へ、感謝の気持ちを綴った手紙を渡す。




三ヶ月(8w〜11w)

8週0日目
三ヶ月に一度の土曜日出勤。
普段とは違い受付など一人で行わなければならないので、少し緊張しながら出勤。
仕事を終わらせた途端の安堵からか、どっと体調が悪くなる。
安澄の個展に顔をだそうと思っていたものの、真っすぐ帰宅。

8週1日目
安澄個展のクロージングパーティー。
料理を作る約束だったが前の日からの体調不良が長引き、起きることもままならない。
粘って粘って、結局ギリギリになって玲子へお願いしてサーヴなどをしてもらうことに。
情けなさと不甲斐なさに打ちのめされながら、真っ暗な部屋で泣きながら過ごす。

8週5日目
出勤の途中、三鷹駅にてもう駄目だーと途中下車。
トイレから出ることも出来ず、正直記憶はほとんど無い。
仕事を休ませてもらい、土屋産婦人科に。
二週間の自宅安静の指示を受ける。

http://hanajirushi.blogspot.jp/2015/03/blog-post_61.html

9週1日目
安澄の仕事を観に横須賀美術館へ。
海が近くにあって、天井も高くって、気持ち良い空気が流れる美術館だった。
展示は安澄のポスター通りの空気感。とてもマッチしていた。
美術館で食べたピザが今まで食べたどんなピザより美味しくて久々に完食。
長時間の車での移動に夜中お腹がとても痛くなる。

9週5日目〜10週4日目
腹の人はイチゴくらいの大きさに育っていると検診で教えてもらう。
安澄出張で自宅をあけるということで、不安とあまりの悪阻っぷりに一度帰省することに(体重は35キロまで落ち込んだ)。
母親のご飯は安心からか口にすることが出来た。
仕事から帰ってくると驚く早さで私の好きなものを食卓に並べる母。
口に入れる度に嬉しそうに微笑む母の顔を私はずっと忘れないだろう。
しかしながら妹と大げんか。
早朝に新幹線に飛び乗り、仲直りしないままに東京に戻る。
その時の見送ってくれた母の悲しい顔も私はずっと忘れないだろうな。

10週5日目
国立市役所にて母子手帳をもらう。
初めての母子手帳はベビープーさん。
何故に赤子にまつわるものはシンプルなものが無いのか。


11週0日目
安澄インフルエンザ罹患。
土屋産婦人科へ向かう。
気休めながらも栄養として点滴を打ってもらう。
インフルエンザ罹患の可能性があるので分娩台で一人3時間。
母が心配して急遽東京に来てくれることになった。
安澄は隔離のため、自分の実家で安静に。

11週5日目
入籍して一年の記念日。
元旦なので三星家のみんなでごちそうを食べる。
家に帰り、以前願掛けしていただるまに目を入れる。
願掛けは子どもを授かりますように。
両方の目をぱっちり開いただるまに涙がこぼれる。

11週6日目
初詣とお礼参りのため、大宮八幡宮へ。
屋台のラーメンをすすりながら美味しいねーと二人で笑う。


2015年7月4日土曜日

二ヶ月(4w〜7w)

予定日まで二週間をきった。
無事に産むことが出来たらば、この愛しい日々もぼんやり和らいでしまうのだろうな。


5週0日目
検査薬陽性!

5週1日目
日立の建物公開へ二人で向かう。
赤子があやされている姿に今までとは違う感情で胸が一杯になる。
そのまま吉祥寺へ移動して焼肉ランチ(二人で行くのは初めてだった!)
食事を済ませてから、【産む為の本】を初めて購入。
夜は前々から約束していたゆっことのライブ。
腹の人の最初のライブ体験はウルフルズ!
大きな音がお腹に悪影響を与えるのではないかと気が気ではなかったので、立ったり座ったりしながらライブを楽しむ。
駅まで迎えに来てくれていた安澄から腹巻き付きのパジャマをプレゼントされる。

5週3日目
クリニックにて胎のう確認

6週1日目
初悪阻症状
http://hanajirushi.blogspot.jp/2015/02/blog-post_20.html

6週2日目
三星の両親に少し早いけれど報告。
お父さんがそんな気がしていたと言い、お母さんはにっこり微笑んでくれた。

6週5日目
安澄初個展の搬入。
少し動くたびに疲れてしまうので、休み休み手伝う。

7週0日目ー1日目
hanajirushiの営業は、予め玲子にお願いしていたのでお手伝いとして参加。
なんとか終わらせるも、家に帰った途端に倒れるように眠る。

7週5日目
府中の森 土屋産婦人科へ初診
http://hanajirushi.blogspot.jp/2015/03/blog-post_11.html




2015年4月11日土曜日

初乳

いよいよ八ヶ月。
腹周りは気付かれないほどこじんまりしているけれど、妊娠前よりは20cmプラスされてどっしりとしてきた。
7か月に入って早々に乳頭が滲み出し、放っておいたら白いカスのようなものに変化。
なんだろうと首を傾げていたけれど、これはどうやら初乳と呼ばれるものらしい。
産まれる前から滲み出すなんて知らなかったので、危うく病院に行くところだった。

割と早い段階で胎動を感じていたのは、どうやら腹の中の人がすこぶる動き回る人だかららしい。
検診ごとに体の向きを変えているは、足をバタバタさせているはで、やんちゃな子ですねと大概笑われる。
ポコンポコンとそこらかしこを蹴り上げるのだけれど、膀胱にあたれば失禁しそうになるし、胃にあたればオエッとえづくし、可愛いねーだけでは済まない時もある。
夜の力強い蹴り上げに、熟睡したまま朝を迎えることはなかなか難しくなってきた。

腹の中には、私とは全く別の人が生きているんだなあと実感する日々。


2015年3月14日土曜日

備忘録-悪阻を総じて-

駄目だ駄目だと否定する日々を二週間過ごし、このままじゃやばい!褒めてくれ!と懇願する。
思いつく限りの全てを、言葉や仕草で伝えてくれる安澄のお陰ですっかりネガティヴから脱出することが出来た。
体力的な辛さはどんどん悪化したけれど、心の健康さのお陰で精神面は至って健康!
寝る事が今の私の最大の仕事だと割り切ってジャカジャカと甘えさせてもらう。


《悪阻最中の大きな出来事》

・安澄出張の為八戸に帰省するも、互いに妊婦な我ら姉妹は10年ぶりに大きな喧嘩をし、次の日の朝5時の新幹線に飛び乗り泣きながら帰ってくるという今思えば馬鹿らしいことをしたりもした。
(実家で暮らす妹が母親から受けれている諸々にただ嫉妬していただけなのだと今となっては反省。妹は妹で、母親の愛情が二分されたことへの嫉妬だったのだと思う。妊婦のネガティブ思考は相思相愛の姉妹の関係をも覆す凄まじさだとご理解頂けるエピソード。)


・34キロ台に突入+まさかの安澄インフルエンザ罹患の際、産婦人科の先生に懇願して点滴を打ってもらう。
インフルエンザ疑いの私は病棟で点滴を打つ事が出来ず、まさかの分娩室で点滴を打つ事になった。分娩台に一人。BGMは大音量の賛美歌!滑稽な三時間は、思い出すだけで笑える貴重な体験!


・体調が少し良い昼下がり、立川まで買い出しに向かう。途中具合が悪くなり、駅ビルのベンチに座ってから記憶が無くなる。
気づけば三時間眠りこけていた!泥酔以外で一人で外で眠ったのは初めての体験!


《悪阻症状》
-体調面-
・締め付けるような頭痛。
・目眩は二種類。目の前が真っ暗になるものと、白く霞んでぐるぐるするの。
・トイレに行く僅かな距離でも動悸、息切れ。
・極度の冷えは体重低下による脂肪率によるものだと思う。
・常につきまとう吐き気。
・食べたものや量により、突発的に込み上げる嘔吐。
・眠気。←これも立派な悪阻症状
・下痢。
・頻尿&残尿感
・もともと匂いに敏感だったので、これが悪化したりはしなかった。
・思考回路の停止

この諸々の症状を総じて例えるならば、大事な預かり物を抱えながら、酷い船酔いで散々吐き疲れたままに、急勾配の山道を休みなく歩かされているような状態が近しいです。


-精神面-
・不甲斐なさと、自己否定に取り憑かれた約10日間。
・脱却してからはポジティブかつ感謝の気持ちに溢れて、今まで過ごしてきたどんな時期よりも安定している。

これは間違い無く安澄のお陰!今までの私だったら些細な事で心配になったり不安になったりでマタニティーブルーから抜け出すのには相当な時間がかかったはず。ホルモンの影響で浮き沈みが激しくなる妊婦さんが多い中、助産師さんにも本当に初産ですか?と聞かれる程に安定した心持ちで過ごせている。

*長い事願って願っての妊娠だったので、悪阻でどんなに辛かろうと腹の子に対する恨み辛みは全く無かったし、常に育てる事を意識して過ごせていたけれど、突然に(思いもよらず出来ちゃった的な)妊娠をした方はどんなモチベーションでこの悪阻時期を過ごしているのだろうか。なんて、考えなくても良いことばかりを考えていた。


今調べると私の体重などなどは入院レベルの悪阻症状だったようだけれど、その時は調べる元気も思考回路も無く、ただただ耐えていた。
スパルタ先生曰く、
【胎児は生命力の強過ぎる寄生虫!】

今も悪阻症状は続いているけれど、この耐え忍んだ時間は確実に今まで体験してこなかった頑張りの時間だった!


2015年3月11日水曜日

備忘録-悪阻地獄スタート-

12月6日
騙し騙し過ごしてきたけれど、もう騙せない程に悪阻。

3ヶ月に一度の土曜日出勤を終えてからの記憶がほぼ無い。
頭痛、吐き気、眠気、目眩、息をするのも必死な状態で何度も途中下車しながら渋谷から国立までを3時間かけて帰宅する。

12月7日
安澄の大事な個展のクロージングパーティーと頭でわかっていながらも、思考回路がショート。
やらなくては!やりたい!の気持ちとは裏腹、まったく身体が動かない。
悪足掻きしまくって、結局安澄にも玲子にも迷惑をかけることになる。
自分の不甲斐なさに涙しながらトイレで吐き続ける。

12月11日
地獄の通勤を数日続けるも、ついに途中下車。
頭痛と目眩と、呼吸困難で立つこともままならなくなる。
トイレで暫く嘔吐するも、一向に治らず、仕事を休ませてもらい病院に向かった。
子は元気。水分が取れるならば点滴などはしない。ということで、診察終了。
そのまま家に帰り、ぶっ倒れる。

次の日も次の日も動けない。
結局、この日から約2ヶ月の休職が始まることになった。

自分の身体を自分でコントロール出来ないという辛さを初めて体感。
悪阻は辛い!とは聞いて知っていた。
しかし、ここまでのものとは。

代表的な吐き気や嘔吐はもうスタンダードだとして、頭痛に目眩、動悸、息切れのオプション付き。
吐けたらまだ良いけれど、吐けない時の取り憑かれた様な苦しみは体力だけでは無くて精神的にもこたえるものだった。

身体が鉛のように重くて、横になっていても疲れる。
何時間でも眠る事が出来て、食欲なんて全く無い。
テレビで見る(悪阻になってから気付いたけれど、どの番組もご飯のことばかり!)肉だ魚だの諸々を見ても吐き気を催してしまうので、朝から晩までただ布団に横たわり、天井を見ながら体の不調と向き合うか、眠るかでほぼ2ヶ月を過ごした。
音楽や本を読むなんてとてもじゃないけれど出来ない。
酷い時は電気の光を見る事も辛く、真っ暗な部屋で布団をかぶる。
ありとあらゆるものから自分を遮断して、世界は私と腹の子だけになったような気がしてくる。
世の中の諸々から置いてかれて、出口の無い真っ暗な空間に取り残されたような気分。

自分でも想像していなかったほどの悪阻なのだから、他の人にわかってもらえないことは重々承知。
締め切りが立て込んで忙しい安澄に、仕事を休んで家にいるだけなのだからせめてご飯くらい!と意気込むも、出来ない。
その自分の不甲斐なさが悔しくて、1人になるとメソメソと泣いていた。

元々痩せていた体だけれど、笑っちゃうくらいにみるみる痩せて一週間でマイナス5キロ。
足首が自分の手でグルっと掴めた時には流石にやばい!とおののいた。

家から外に出れないので、食べれる物を買いに行くことも出来ない。
いつもならチャチャッと食べれるお茶漬けさえも作れない。
食べなくてはいけないという気持ちと、作れない食べれない食べたくないの気持ちのせめぎ合い。
途中からは水すら飲めなくなって、腹の子の成育に不安ばかりが募った。

働いていない自分。
という社会的な面目無さからか、12月の寒い部屋でも暖房をつけることすら憚られる。
体力的な辛さよりも、自分のダメっぷりにやられまくった。
誰から言われたわけではないのに、自分がとても駄目な人間だと得体の無い敗北感に常に支配されていた。

心配する安澄の顔も、迷惑がっている顔としか捉えることが出来ず、ただただ申し訳無さに消え入りたい日々だった。

つづく
*落ち着いてからは忘れていたことも書いていると止まらなくなるものですね。


2015年3月6日金曜日

備忘録-産院選び-

長いこと授からなかったので自分の身体に全く自信が無かった。
不良品・欠陥品と自分の身体を否定し続けていたからか、子を身籠ったといえど、不妊から不育のステップへ変わるだけかもしれない。と、負の思考回路は相変わらず。

不妊の知識だけは人一倍あるのに、妊娠してからの知識が殆ど無い。
身籠って一番に決めなくては行けない産む場所のことなんて考えてすらいなかった。
里帰りをするのか、しないのか。
総合病院か個人病院か、はたまた助産院か。

子を望んでいる人なら一度は考えるであろう基本的な事を考えるでもなく、不妊治療ばかりの知識を増やしていたのだから、よっぽと取り憑かれていたのだなぁと、その時ようやく気付く。
(その心の窮屈さも子が授からない原因の一つの様な気がする。と言っても苦しい時間なので仕方が無い話だけれども。)

そんなわけで、ゼロからの産院選びスタート。

妹も私の予定日一ヶ月前に出産予定なので、里帰りは現実的に厳しい。
となると、実母の力を借りれずの東京出産。
うーん。どうしよう。

考えが纏まらないので譲れない事を書き出すことにした。

・ご飯が美味しいこと
・スタッフの顔を覚えれる規模
・立ち会い出産可

となると、個人病院か助産院!
自宅から近いところを探してみるも、口コミなんて信用ならないのは自分のクリニックで経験済み。
あーもう無理ー!とTwitterに逃げ込むと、たまたま目にした知り合いの記事が目に飛び込む。
彼女は一年ほど前にお子を産んだのだけれど、どうやら助産院だったらしい。
Google先生で検索すると、我が家からも近い!
うえに、評判もかなり良い!!
スピリチュアル度合いも低く、母乳相談も可。産後も相談出来る環境が整っていた。
何よりも料理が美味しそう!

ということで、呆気なく産院選びは終了。
助産院は医療行為が出来ないので、検診などは連携している個人病院に行く事にした。
早速個人病院の初診を予約。
驚く程にスムーズな流れに、運命すら感じた1日だった。

*出来る限りSNSに触れないようにと気を付けているけれど、こういう有益な情報を得る事も出来るのだから上手いこと付き合っていこうと考えを改める。

2015年2月24日火曜日

贈り物

子を授かってから暫くの間、布団とトイレの往復だけの生活をしていた。
ほぼ2ヶ月休職させてもらい、ようやく復職出来たのは2月から。
子を授かった喜びは勿論あれど、情けなさや申し訳なさで不甲斐ない(やいやーな)2ヶ月だった。

仕事は主に座り仕事なので良いのだけれど、問題は家から職場まで約一時間半の通勤。
中央線と埼京線の混雑は元気な時ですら辛いものがあるけれど、2ヶ月引き篭もっていた身には想像以上だった。

ヒーコラヒーコラ優先席前に立つも、ほんの僅かしか膨らんでいない腹では席を代わってもらえるはずもない。
感染予防の為にしているマスクの影響もあって、呼吸もどんどん乱れてくる。
これは仕方ない。と、腹をくくり公共の(イラストが可愛すぎてちょっと躊躇していた)マタニティマークを鞄につけることにした。

だけれども。

マークをつけようが電車で席を代わってもらえる確率が増えるわけではなく、ユラユラ揺れるマークをぼんやりと眺めながら体も心もどんどんと疲弊していく。

2ヶ月まともに歩いてもいない身での仕事復帰に無理が出てきたある日。
安澄からプレゼントだよーと白い紙袋を渡された。

袋の中身は、安澄オリジナルのマタニティマークとエコー写真を飾れる写真立て!




普段イラストものを身に付けない私のモヤ〜っとした気持ちを汲み取って、仕事の合間を縫って作成してくれたマタニティマーク。

嬉しいとか、驚きとか、どんな感情とも言い表せない突きあがる衝動が体を満たし、ワーワーとはしゃぎまくりながら林家夫妻のようにただただ写真を撮りまくる私。



次の日からの通勤は心も体もとても快適で、お気に入りの物をつけている自信からか席を代わってくれることも増えたように思う。


一人でいる時でもなんだか守られているようで、私はすっごく強くなった。



*エコー写真はそのままだとなかなかリアルな代物だけど、写真立てに入れることで直視できるようになった。
これは私だけで独り占めするには忍びないほどの素敵さなので、子を授かった友達にはその都度贈り物にしたいと思う。

2015年2月18日水曜日

戌の日

犬の安産にあやかり、妊娠5ヶ月の安定期に入った戌の日(12日ごとに訪れる)に安産祈願をする風習がある。
ちょうど日曜日のお休みにあたっていたので、安澄両親と四人で大宮八幡宮へ向かった。

大宮八幡宮は東京のちょうど真ん中にあるらしく(?)へそ神社と呼ばれている。
へそ=臍の緒=赤子
ということで、子授けや安産に良いらしい。
私たちも去年今年と初詣はここでお参りをさせてもらった。

二つの色違いの子授け守りを各々で持ち歩き、安澄のお守りの紐が切れたその日に妊娠がわかるという不思議な現象が起こったこともあり、戌の日を迎えられた暁には大宮八幡宮にお参りに行くと決めていた。


なので、感慨もひとしお。
祈願の絵馬を書きながら込み上げてくるものを堪えつつ(もともと感涙屋だけれど、更に助長された気がする)、参拝に来ている同じ週数の妊婦さんに混じってお願い事を書いていく。



神事さんによる祈祷を済ませ、四人でお茶を飲んだり写真を撮ったり。
私たちは勿論だけれど、三星の両親もいつもより少し浮かれてくれていたような気がする。
(また後でしっかり書いておきたい!書かねばならぬ!と思っている悪阻地獄な日々の時も感じたのだけれど、三星両親の優しさや家族としての受け入れ態勢は半端ない。
三星の姓を名乗って一年と少しだけれど、私はすっかり二人の大ファンだ!
『お姑さんと出会えてよかった、と思えるほどしあわせな結婚はありません。また、そう思われるほど立派なこともありません。』
私の大切にしている本の一節。
本当に本当にそう思う。)


日曜のお昼時なので空いているお店も少なく、結局実家の近くのパスタ専門のファミリーレストランで昼食をとることにした。
四つの異なる味のパスタを四人で楽しいね〜美味しいね〜と笑いながらシェアをして、私と安澄はマットレス購入の為にホームセンターへ。

当初は一番安いの!と決めていたのに、結局は諭吉が何人も旅立っていった。
ギックリ腰癖のある私。
既に長時間歩くと夜中に一人で動けない程に腰が悲鳴をあげているからということで、安澄が奮発してくれたのだ。
まみの腰に優しいならば、安いもんだ!っと太っ腹。
その日は二人とも朝まで熟睡することが出来た(流石、カズが宣伝しているだけあった)。


2015年2月9日月曜日

5ヶ月検診

4週間ぶりの検診。
遠足前日のようになかなか眠れず、ぼんやりした頭で産婦人科へ向かう。

前回の検診で、腹の子は多才な猫パンチを繰り広げては我らを魅了したのだけれど、今回はグッスリ眠っているのか時たま顔を撫でるだけ。
大きさは掌サイズに、頭部は卵くらいに育っているそうだ。
想像していたよりデカい!

血液の結果で血糖が基準値を超えているので再検査。
前回は悪阻で何も食べれなかった時なのに、何故に血糖が上昇したのか。
看護師さんに質問するとあまりに足りないと身体が不足分を補おうと必要以上に分泌することもあるからそれかもねーとのこと。
身体は凄い!

50ccの甘いソーダを飲み、1時間待って血糖の上昇値を調べる血液検査。
見るからに痩せ細った血管からは少しの血液を取るのも一苦労で、看護師さん二人がかりで腕を温め、チューブで縛り・外しを繰り返してなんとか必要な血を取る事が出来た。

助成券があるのでお会計は3620円。

もう少し動いている姿を見たかったと私は思ったのだけれど、帰りのバスで安澄は始終可愛かったねーとウットリしている。
今回も育ててくれてありがとうと握手されて、検診は終了。
次回の検診はまたまた4週間後。




2015年2月6日金曜日

落し物が宝物に

雪が降るから早めに帰ってね。の言葉に有難く従い、昨日は5時に帰らせてもらった。

中央線に乗り換え、ホッとしたのも束の間、リュックにつけたマタニティマークが無くなっている事に気付く。
埼京線では確認したので、新宿の乗り換え時に落としてしまったのだろう。

物が物だけに、
落とす=子がいなくなるなんて不吉な考えが頭をよぎる。
なんて縁起が悪いんだ。
最寄駅で再度マタニティマークを貰うも、とぼとぼと帰路についた。

暫くすると安澄が帰宅。
今日の出来事を話しながら、落とした事を伝えると、「まぢで?」と目を見開いている。

新宿からの帰り道、フッと目に止まったマタニティマークを置いておけずに拾って帰ってきたのだという。
詳しく話し出すと、まさに私が通った道で、落としたであろう場所で拾った事が分かった。

私のしくじりをいつもこんな風にサラリと良い事に変えてくれるのは何だろう。
パンパンと柏手をうって、戻ってきたマタニティマークを縁起物として棚に飾った。



*何故妊婦用の諸々はマーク然り可愛いものが多いのか。
普段身に付けない物を身に付けるところから、思い通りにいかない育児を学べということか‥‥(んなわけない)。


2015年1月30日金曜日

報告の記録



随分と日が空いてしまった。
新婚旅行や結婚式。
記録しておきたいことは数あれど、今日は正座をしながらしっかりと報告の記録を。

念願の子を授かった。
現在5ヶ月に入り、俗に言われる
安定期という時期を迎えた。

実に6年間待ち望んでいた懐妊。
毎月律儀に訪れる生理に涙したのは単純計算で72回。
月の四分の一はショックと痛みとで屍のようになっていた。

子を授かるということは一人の想いだけでなし得ないので、この六年の間に子にまつわるエトセトラで大きな決断をすることにもなった。

安澄と結婚してからも子宮内膜症ということがあってか、なかなか授からなかった。
子を授かるのは、奇跡が起きない限り自分には訪れないのかもしれない。
自暴自棄になった私を見かねて、専門の病院で治療しようと二人でずいぶん話し込み、覚悟を決めた矢先。
なんと検査薬で陽性反応が出た。

途端にはじまる悪阻との戦い(これはまた後日記すとします)。
この二ヶ月弱はほぼ布団とトイレの記憶しか無いのだけれど、そんな私とは裏腹にお腹の中ではスクスクと赤子が育ってくれている。

万が一のことがあって(そんなことは全く望んでいないけれど)出逢うことが出来ないかもしれない。
それでも、やっぱりこの体験と向き合う日々を忘れないように記しておきたいと思う。