2015年3月14日土曜日

備忘録-悪阻を総じて-

駄目だ駄目だと否定する日々を二週間過ごし、このままじゃやばい!褒めてくれ!と懇願する。
思いつく限りの全てを、言葉や仕草で伝えてくれる安澄のお陰ですっかりネガティヴから脱出することが出来た。
体力的な辛さはどんどん悪化したけれど、心の健康さのお陰で精神面は至って健康!
寝る事が今の私の最大の仕事だと割り切ってジャカジャカと甘えさせてもらう。


《悪阻最中の大きな出来事》

・安澄出張の為八戸に帰省するも、互いに妊婦な我ら姉妹は10年ぶりに大きな喧嘩をし、次の日の朝5時の新幹線に飛び乗り泣きながら帰ってくるという今思えば馬鹿らしいことをしたりもした。
(実家で暮らす妹が母親から受けれている諸々にただ嫉妬していただけなのだと今となっては反省。妹は妹で、母親の愛情が二分されたことへの嫉妬だったのだと思う。妊婦のネガティブ思考は相思相愛の姉妹の関係をも覆す凄まじさだとご理解頂けるエピソード。)


・34キロ台に突入+まさかの安澄インフルエンザ罹患の際、産婦人科の先生に懇願して点滴を打ってもらう。
インフルエンザ疑いの私は病棟で点滴を打つ事が出来ず、まさかの分娩室で点滴を打つ事になった。分娩台に一人。BGMは大音量の賛美歌!滑稽な三時間は、思い出すだけで笑える貴重な体験!


・体調が少し良い昼下がり、立川まで買い出しに向かう。途中具合が悪くなり、駅ビルのベンチに座ってから記憶が無くなる。
気づけば三時間眠りこけていた!泥酔以外で一人で外で眠ったのは初めての体験!


《悪阻症状》
-体調面-
・締め付けるような頭痛。
・目眩は二種類。目の前が真っ暗になるものと、白く霞んでぐるぐるするの。
・トイレに行く僅かな距離でも動悸、息切れ。
・極度の冷えは体重低下による脂肪率によるものだと思う。
・常につきまとう吐き気。
・食べたものや量により、突発的に込み上げる嘔吐。
・眠気。←これも立派な悪阻症状
・下痢。
・頻尿&残尿感
・もともと匂いに敏感だったので、これが悪化したりはしなかった。
・思考回路の停止

この諸々の症状を総じて例えるならば、大事な預かり物を抱えながら、酷い船酔いで散々吐き疲れたままに、急勾配の山道を休みなく歩かされているような状態が近しいです。


-精神面-
・不甲斐なさと、自己否定に取り憑かれた約10日間。
・脱却してからはポジティブかつ感謝の気持ちに溢れて、今まで過ごしてきたどんな時期よりも安定している。

これは間違い無く安澄のお陰!今までの私だったら些細な事で心配になったり不安になったりでマタニティーブルーから抜け出すのには相当な時間がかかったはず。ホルモンの影響で浮き沈みが激しくなる妊婦さんが多い中、助産師さんにも本当に初産ですか?と聞かれる程に安定した心持ちで過ごせている。

*長い事願って願っての妊娠だったので、悪阻でどんなに辛かろうと腹の子に対する恨み辛みは全く無かったし、常に育てる事を意識して過ごせていたけれど、突然に(思いもよらず出来ちゃった的な)妊娠をした方はどんなモチベーションでこの悪阻時期を過ごしているのだろうか。なんて、考えなくても良いことばかりを考えていた。


今調べると私の体重などなどは入院レベルの悪阻症状だったようだけれど、その時は調べる元気も思考回路も無く、ただただ耐えていた。
スパルタ先生曰く、
【胎児は生命力の強過ぎる寄生虫!】

今も悪阻症状は続いているけれど、この耐え忍んだ時間は確実に今まで体験してこなかった頑張りの時間だった!


2015年3月11日水曜日

備忘録-悪阻地獄スタート-

12月6日
騙し騙し過ごしてきたけれど、もう騙せない程に悪阻。

3ヶ月に一度の土曜日出勤を終えてからの記憶がほぼ無い。
頭痛、吐き気、眠気、目眩、息をするのも必死な状態で何度も途中下車しながら渋谷から国立までを3時間かけて帰宅する。

12月7日
安澄の大事な個展のクロージングパーティーと頭でわかっていながらも、思考回路がショート。
やらなくては!やりたい!の気持ちとは裏腹、まったく身体が動かない。
悪足掻きしまくって、結局安澄にも玲子にも迷惑をかけることになる。
自分の不甲斐なさに涙しながらトイレで吐き続ける。

12月11日
地獄の通勤を数日続けるも、ついに途中下車。
頭痛と目眩と、呼吸困難で立つこともままならなくなる。
トイレで暫く嘔吐するも、一向に治らず、仕事を休ませてもらい病院に向かった。
子は元気。水分が取れるならば点滴などはしない。ということで、診察終了。
そのまま家に帰り、ぶっ倒れる。

次の日も次の日も動けない。
結局、この日から約2ヶ月の休職が始まることになった。

自分の身体を自分でコントロール出来ないという辛さを初めて体感。
悪阻は辛い!とは聞いて知っていた。
しかし、ここまでのものとは。

代表的な吐き気や嘔吐はもうスタンダードだとして、頭痛に目眩、動悸、息切れのオプション付き。
吐けたらまだ良いけれど、吐けない時の取り憑かれた様な苦しみは体力だけでは無くて精神的にもこたえるものだった。

身体が鉛のように重くて、横になっていても疲れる。
何時間でも眠る事が出来て、食欲なんて全く無い。
テレビで見る(悪阻になってから気付いたけれど、どの番組もご飯のことばかり!)肉だ魚だの諸々を見ても吐き気を催してしまうので、朝から晩までただ布団に横たわり、天井を見ながら体の不調と向き合うか、眠るかでほぼ2ヶ月を過ごした。
音楽や本を読むなんてとてもじゃないけれど出来ない。
酷い時は電気の光を見る事も辛く、真っ暗な部屋で布団をかぶる。
ありとあらゆるものから自分を遮断して、世界は私と腹の子だけになったような気がしてくる。
世の中の諸々から置いてかれて、出口の無い真っ暗な空間に取り残されたような気分。

自分でも想像していなかったほどの悪阻なのだから、他の人にわかってもらえないことは重々承知。
締め切りが立て込んで忙しい安澄に、仕事を休んで家にいるだけなのだからせめてご飯くらい!と意気込むも、出来ない。
その自分の不甲斐なさが悔しくて、1人になるとメソメソと泣いていた。

元々痩せていた体だけれど、笑っちゃうくらいにみるみる痩せて一週間でマイナス5キロ。
足首が自分の手でグルっと掴めた時には流石にやばい!とおののいた。

家から外に出れないので、食べれる物を買いに行くことも出来ない。
いつもならチャチャッと食べれるお茶漬けさえも作れない。
食べなくてはいけないという気持ちと、作れない食べれない食べたくないの気持ちのせめぎ合い。
途中からは水すら飲めなくなって、腹の子の成育に不安ばかりが募った。

働いていない自分。
という社会的な面目無さからか、12月の寒い部屋でも暖房をつけることすら憚られる。
体力的な辛さよりも、自分のダメっぷりにやられまくった。
誰から言われたわけではないのに、自分がとても駄目な人間だと得体の無い敗北感に常に支配されていた。

心配する安澄の顔も、迷惑がっている顔としか捉えることが出来ず、ただただ申し訳無さに消え入りたい日々だった。

つづく
*落ち着いてからは忘れていたことも書いていると止まらなくなるものですね。


2015年3月6日金曜日

備忘録-産院選び-

長いこと授からなかったので自分の身体に全く自信が無かった。
不良品・欠陥品と自分の身体を否定し続けていたからか、子を身籠ったといえど、不妊から不育のステップへ変わるだけかもしれない。と、負の思考回路は相変わらず。

不妊の知識だけは人一倍あるのに、妊娠してからの知識が殆ど無い。
身籠って一番に決めなくては行けない産む場所のことなんて考えてすらいなかった。
里帰りをするのか、しないのか。
総合病院か個人病院か、はたまた助産院か。

子を望んでいる人なら一度は考えるであろう基本的な事を考えるでもなく、不妊治療ばかりの知識を増やしていたのだから、よっぽと取り憑かれていたのだなぁと、その時ようやく気付く。
(その心の窮屈さも子が授からない原因の一つの様な気がする。と言っても苦しい時間なので仕方が無い話だけれども。)

そんなわけで、ゼロからの産院選びスタート。

妹も私の予定日一ヶ月前に出産予定なので、里帰りは現実的に厳しい。
となると、実母の力を借りれずの東京出産。
うーん。どうしよう。

考えが纏まらないので譲れない事を書き出すことにした。

・ご飯が美味しいこと
・スタッフの顔を覚えれる規模
・立ち会い出産可

となると、個人病院か助産院!
自宅から近いところを探してみるも、口コミなんて信用ならないのは自分のクリニックで経験済み。
あーもう無理ー!とTwitterに逃げ込むと、たまたま目にした知り合いの記事が目に飛び込む。
彼女は一年ほど前にお子を産んだのだけれど、どうやら助産院だったらしい。
Google先生で検索すると、我が家からも近い!
うえに、評判もかなり良い!!
スピリチュアル度合いも低く、母乳相談も可。産後も相談出来る環境が整っていた。
何よりも料理が美味しそう!

ということで、呆気なく産院選びは終了。
助産院は医療行為が出来ないので、検診などは連携している個人病院に行く事にした。
早速個人病院の初診を予約。
驚く程にスムーズな流れに、運命すら感じた1日だった。

*出来る限りSNSに触れないようにと気を付けているけれど、こういう有益な情報を得る事も出来るのだから上手いこと付き合っていこうと考えを改める。