2021年11月18日木曜日

2021.11.18

一昨日、昨日と日文の試験があった。
この日の為にお受験ごっこをしたりして練習を重ねてきたけれど、ごっこのレベルは超えられないままに当日を迎える。
いつもとは違う独特な雰囲気に緊張し、不安そうな日文。
ここ一番のガッツポーズを送り、教室を後にした。
ここからはもう日文が頑張るしかない。


体育館で待っていると、パタパタと足音が近づき、最初に終わった子どもたちの組が帰ってきた。
日文の受験番号は最後の方なので、まだまだかかりそう。
持ってきた本を片手に読みふけること2時間。
ようやく日文たちの組が帰ってくる。
最後にみた不安そうな日文はすっかりいなくなり、シャンっと背筋を伸ばしてスキップまじりで歩いている。
その姿のなんと晴れやかなこと!
他にも数名子どもたちがいるはずなのに、焦点が日文だけにあたって、日文だけが鮮明になる。
この時のこの感覚はいつぞやもあったな・・・と記憶を手繰り寄せ、ああお宮参りだと思い出す。
その時も肩の荷がおりたような、日文と距離が出来たような感覚になったのだけれど、今回も改めて日文と対峙するような新鮮な気持ちになった。

2021年11月4日木曜日

2021.11.4

年々、自分の誕生日に何かして欲しい。という感情が薄れていく。
38歳という特に節目になる年齢でないこともあってか、日を跨ぐ頃にはぐっすり夢の中で、起きてからも感慨無く日常を過ごす。
髪の毛の染めむらが気になり、当日に美容院を予約し、ちょっとしたお祝いにとヘッドマッサージを追加したくらい。

子どもたちが保育園から戻り、アズミが夕食を用意してくれるというので遊びながら待つ。
お祝いご飯はハンバーガー。
ジューシーなハンバーグとトマトのバランスが最高に美味しくて、子どもそっちのけでおかわりした。

その後、前日に作ってくれていたチーズケーキと共に、日文の企画した誕生日会がスタート。
保育園から持って帰ってきていた大きなモンベルの紙袋から、手製のマイク(まつぼっくりとトイレの芯)を取り出し、司会を始める。
まずは芋がらで作った王冠をかぶせられ、みんなにも配り出す。
家族全員が芋がらの王冠を頭に乗せてなかなかシュールな光景。

文昌がアレクサに電気を消すように頼むもなかなか伝わらず、笑いが起こる。
ケーキと共に子どもたちの歌が始まり、十も懸命に手を叩いて祝ってくれた。

誕生日プレゼントの時間ですと、これまた紙袋からトイレの芯で留められたお手紙2つと
畳まれたカード1つが手渡される。
日文とさよ(日文の親友)それぞれからのお手紙と、保育園の先生からの寄せ書きだった。
どうしたの?と聞くと「日文の誕生日にお母さんがいいないいなって言ってたから、喜んで欲しくて先生たちにお願いしたの!」と嬉しそうな日文。
なんてことだ‥としばらく口を開けていた(に違いない)。



2021年10月12日火曜日

2021.10.12

六甲に住まいを移した友人夫妻を訪ねた。
帰ってきてから魂が抜けてしまったような感覚で過ごしている。
喪失感とはまた違う、からっぽ。


2021年10月6日水曜日

2021.10.5

子供たちを送り家事をざっとこなしてから茅ヶ崎へ。
電車を乗り換え乗り換え辿り着いたのは、熊沢酒造という明治から続いている酒蔵。

この日はまなちゃんとかよちゃん(初対面)とのお食事会。

緊急事態宣言が解除されてようやく外食でお酒が飲める記念すべき一杯目が、まさにこの場で作られている新鮮なビールという申し分のない環境が整った。

まなちゃんが遅れるとのことで、先に乾杯することに。
いつもよりも黄金色が輝いて見えるのは気のせいでは無かったと思う。
う、う、うまい、、、、と目を瞑りかけた横で「カンパーイ!」と言われてハッとする。
乾杯!!!
なんて甘美な響きなんだ。と感動しながらも、自分の失礼さを恥じた。
(乾杯するという行為を忘れるくらい、人とお酒を飲んでいなかったということでもある)

2021年10月5日火曜日

2021/10/5

お結び式から7年。

Google Photoからのお知らせで自分も気付いたのに、さも前から思いを馳せていたようにしてアズミに伝える。

アズミは申し訳なさそうにしながら、せめてもの罪滅ぼしなのか当時の動画を流し始め、子供たちは珍しいものを見るように画面に食いついていた。

若い!!細い!!などと言ったわかりやすい加齢現象と共に「肌の色が白い!!」と言われた事に笑う。



2021年10月4日月曜日

2021.10.4

10年勤めた職場を辞めた。
仕事の内容も、働く事も好きなのだけれど、これからの自分を想像した時に別の自分を想像したくなったから。

1年間は安澄の仕事を手伝いながら、学校へも通う。
この年齢でも、
子供が小さくても、
新しいことを始めたい!という気持ちを大切にさせてくれた事を
凹みそうになったら思い出して踏ん張ろう。

2021年3月9日火曜日

保育園落ちた

役所から入園通知が届いたのは土曜日の夕方。
同じ保育園へ申込をしていた友人から先に入園決定の報を受けていたので、ドキドキすることもなく封を開けた。
書類を開くと入園決定の一文があったものの、記載されていたのは第2希望の保育園名。
第1希望の保育園には落選していたということになる。

目の前が真っ暗になり心は無。
しかし頭では冷静な分析作業がスタート。
何度も転園しているので、保育園の点数基準についてはインプット済み。
伊達に読み込んでいないので、先に入園の報を受けた友人の点数まで脳内で叩き出す。
点数は同点。
ということは同点時の基準として記載されている箇所での総合的判断となる。
しかしおかしい。
記載ある判断基準で見ると明らかに我が家も入園のはず。
土曜なのでこのまま役所へ乗り込むことも出来ず、予めコピーしておいた入園申込書と、基準を読み込み、【役所 ミス 保育園落ちた】で検索し続けた。
目を瞑っても考えてしまい、眠ることもままならない2日間。


月曜日。
開所とともに役所へ乗り込む。
事前の打ち合わせでは、地頭の良い安澄が話を進め、私は相槌担当のはずだった。
が、ミスでは無いと言い続け、手札を見せてこない職員の態度にスイッチが入り、私が理詰めモードに突入。
結果、役所のミスに気付き、問い詰め、認めさせるに至った(これに関しては安澄にいまだに褒められる。ナイスファインプレー!!!と)。

とはいえだ。
ミスを認めさせたものの、結果を覆すのは難しい。
本来落選するはずだった方へ入園決定通知を送付しているのでの一点張りで話が進まない。
誰かが辞退するかもしれないから一旦待って欲しいと言う職員に、なんでミスされた私たちが待つのだ!という怒りはありつつも、お役所だもんね。と、一日だけ待つことにした。
もちろん、ミスがわかった以上私たちが入園出来ないということはあり得ない!という前提で。


結論から言うとすったもんだしたものの、各方面のご好意で第1希望の保育園への入園が決まった。
役所の方に思うことはあるけれど、最終的には心の通った対応をしてくれたのでもう何も言うまい(いや、本当はめちゃくちゃに言いたい!!)。

今回は友人が先に決定の結果を教えてくれたから、書類を読み込んでいたから、、、、、何より声をあげたから、役所のミスに気付くことが出来た。
でもあげなかったら????
途中で何度かもういいや!!と投げ出したくなったけれど、子供が本来得るはずだった権利を、ミスで手放すのは違う。と言う安澄の言葉が全て。
きっと自分の権利を守るだけならここまで動けなかったから、私も、私たちも親になったと言うことだよね。