2015年8月20日木曜日

お産の感想

夜の海は目が慣れるまでとても怖い。
辺りは真っ暗で何にも見えないばかりか、波にさらわれてしまうのでは無いかと動けなくなってしまう。
お産はまさにそんな始まりだった。

今まで体感したことの無い強い痛みを前にどんどん強張って行く私の体を、ひたすらにさすり続けてくれる助産師さん。
どんどん増すであろう痛みへの恐怖。
どれくらい続くのか分からないことへの恐怖。
ありとあらゆる恐怖で一杯だった頭の中が、手の温もりで次第に解放されていく。

皆に励まされ、褒められながら、お産は進んでいく。
こんなにも褒められたのは、随分と小さな頃以来。
今から母になるというのに、自分がどんどんと子供に返っていくようだった。

すっかり幼子になった私は、助産師さんに舵を委ねる。
恐怖はもうまったく無い。
痛みの元は【産まれて来ようとする強い力】ということに気付き、ただその強い力を感じる事に意識を集中させる。

産むのは私一人だけれど、ベテランの助産師さんは勿論、初めてのことでこれまた不安を感じているだろう安澄も一緒に頑張ってくれている。
波の合間に助産師さんや安澄と目を合わせてはしっかりと微笑む。
チーム一丸となってその時に向かっていく頼もしさに、次第に楽しい気持ちが勝っていった。

子宮口が全開になり、しばらくして破水。
内股にぴしゃぴしゃとかかる羊水の温かさを私はきっと忘れないだろう。
腹の子がこの温かなモノで包まれていたのだということにただただ安心した。

一層増した強い力をコントロールしながら、いよいよその時を迎える。
10ヶ月近くの間を共に過ごして来た腹の人が顔を出し、ホギャーと声を出し、臍の緒で繋がっていながらも自分の体から離れてしまう。
ほんの一瞬のことなのに凄く寂しくて、すぐさま胸に置かれた腹の人を抱きしめながら【おかえり】と声をかける。
まだ羊水やらやらを纏ったその人は熱く、柔らかで、まったくもって新品といった感じ。

しばらくして、腹の人は計測の為に安澄に連れられて部屋を出て行った。
その後胎盤を取り出す為に再度股へ意識を集中させる。
ニョロンと出てくる温かな胎盤の感触と重さ。
赤子が産まれようとする強さとは違う、穏やかな安堵のお産。


お産は私にとって、純粋に楽しくて、不思議で、達成感溢れる体験だった。
女性として産まれて来た事を初めて嬉しいと思った瞬間だったかもしれない。
腹の子を腕に抱き、泣きながら笑う安澄の顔が見れたことが、実は何よりも嬉しかった。



おしまい

2015年8月13日木曜日

誕生した日


ようやく7分間隔になり、助産院へ電話。
現状を伝えると、痛みのレベルがまたアップしたら電話してねとの指示を出される。
7分の壁を越えたら即入院出来ると思っていたので、電話を切ってから暫く放心状態。
いつになったら助産院へ行けるのか。。。

痛みが徐々に増し声を上げなくては我慢出来ないほどになるも、先ほどの電話の一件があるので出来ず。
何度も電話したら?と言われるも、また自宅待機指示が出されたら心が折れてしまうから。と、隣で心配そうに腰をさする安澄を見つめながらひたすらに痛みに耐える。

痛みの間隔も短くなり、痛みというよりも精神的に家に居るのは限界!と感じた午前四時、勇気を振り絞って助産院へ電話。
待ちに待っていた【じゃあ来ちゃおうか。】の言葉をもらい、急いで陣痛タクシーを手配する。

ものの5分で到着したタクシーに乗り込み、安澄と二人助産院へ向かう。
明け方ということもあるだろうけれど、一度も信号につかまらずに助産院へ到着した。
うっすらと明るくなり始めた空を眺めながら、晴れの日に産まれてくるんだなーとぼんやり思う。

AM4:30
通い慣れた助産院のドアを開けると、助産師のぷうちゃんが迎え入れてくれた。
矢島助産院には助産師さんが10人ほど居るので一度も会った事の無い助産師さんの可能性もあったけれど、何度も検診で診てもらっていたぷうちゃんだったことがただ嬉しかった。

一度診察をしましょうと診察室で触診。
おしるしはしっかりとした鮮血になり、子宮口は5センチ開いているという。
この調子だと今日中に産まれるねと朗らかに言われるも、まだまだかかるという事実に正直びびる。

触診後、四畳半ほどの一室へ移動。
長丁場になるので旦那さんも眠れるうちに寝ておいてくださいねということで、手を繋ぎながら二人で横たわる。
腰にあてがわれたぷうちゃんの手の温かさに安心して、いつの間にかフワフワと眠っていた。

痛みの間隔もレベルもどんどん高まっているけれど、ぷうちゃんがいるという安心感で心はどんどん解放されていく。
解放された心と比例して、声もどんどん大きくなっていく。
休んでは声をあげ、休んでは声をあげ、、、、
痛みというより、エネルギーの塊が股の間から飛び出そうとする強い力。
そのエネルギーの塊をしっかり感じながら、ぷうちゃんを信じて呼吸を整える。
いつの間にかぷうちゃんだけだった助産師さんが一人増え二人増え、気付けば四人の助産師さんが側に居てくれた。
助産院の主、床子さんに娘の藍さん。そしてれいこさん。
皆の声に励まされ、痛みへの恐怖が薄くなるとともにどんどん景色がクリアになる。
汗をこまめに拭きながら、しっかり手を握り励まし続ける安澄の顔。
状況を見ながら適切に誘導してくれるぷうちゃんの美しい凛とした顔。
いつも通りの床子さんに優しい笑顔で微笑む藍さん、真っすぐに見つめてくれるれいこさんの顔。
頼もしい皆に囲まれ、見つめられ、沢山褒めてもらいながら、自分がどんどん子供に返っていくような気持ちになった。

ぷうちゃんの介助で子宮口が遂に全開になり、しばらくして破水。
羊水は当たり前だけれどとても温かくて、内股にかかるたびにその温かさに安心する。
頭が見えて来たよ!触ってみて!と言われ手を伸ばすと、少し柔らかな頭部を覆う髪の毛に触れる。
目で見れない分、その感触があまりに鮮明で、指先を通して全貌が見えるようだった。

強い痛みの時は高い声で息みを逃し、痛みが遠のいたら力を込める。
ファーファー んんんんんっ ファーファー んんんんんっ
何度繰り返した頃だろう。
ぷうちゃんにここでググッと息んでみよう。と言われ、渾身の力を込める。
息を吐くのと同時に股の間がググっと熱くなり、間もなくホギャーという鳴き声が聞こえる。
まだ顔しか出ていないのに、力いっぱいに声をあげる赤子に皆が声を揃えて笑う。

自分で取り上げよう!と床子さんに言われ、迷い無く安澄に【取り上げて】と伝える。
しっかり頷き、両手を伸ばして赤子を取り上げる安澄。
ほどなくして私の胸に温かな温かな赤子が手渡された。
しがみつくようにピタッとくっついてくるその姿に、初めて会うのに【おかえり】と言ってしまう。

PM11:22
やっと会えた我が子。
やっと会えた二人の子供。
安澄は顔をくしゃくしゃにして笑いながら泣いていた。

2015年8月4日火曜日

予定日から予定日超過

予定日

特に変わらぬ腹のぼんやりした痛みとともに朝を迎えるも、眠気が酷くて起き上がれない。
昼ご飯を食べた後もまた布団に入り、結局夕方4時くらいまで眠っていた。
産まれる間際になると無性に眠くなる人が多いと聞くのでいよいよなのかも。

寝ている間に出かけていた安澄も帰宅。
無事に予定日を迎えられたお祝いにと緑色のバラをプレゼントしてくれた。
その気持ちが嬉しくて、妙なテンションになる。

夜はジンクスにあやかろうと焼き肉を食べに出かけた。
今日は一日中寝ていたので運動をしていない。
ぐるっと散歩しながら、沢山の話をしながら、焼き肉屋さんに向かう。
欲望に任せて注文し、あっという間に平らげる。
カルビ、ハラミ、ロース。
腹の子が産まれたらなかなか食べに来られないからと、好きなだけ食べた。

帰る前にトイレに行くと、パンツに茶色い染みがついている。
【おしるし】だろうそれを暫く凝視し、一つ大きく深呼吸。
安澄に伝えると嬉しそうな顔をしながらも、顔の奥の筋肉がギュッと引き締まったような感じ。
本当にいよいよなんだね。と歩きながら帰り、もしかしたら今日かもしれないということで安澄に早々と眠ってもらった。


予定日超過一日目

朝から定期的な痛みが訪れ、トイレに行く度におしるしもあるものの、未だだろうなーとぼんやりわかる。
折角だからと行きたかったお店にかき氷を食べに行くも、ガッカリ。
あまりの氷の固さに、店員さんにこれが正解なのか?と聞いてみようかと思う程だった。
最後にしようと思っていたかき氷だけれど、これで食べ納めることなんてとてもじゃないけど出来ない。
明日は別のかき氷屋さんに行くことを決心して店を出る。

夜はFC東京の試合があるので三星実家でテレビ観戦。
妊娠してスタジアムに行けなくなってから恒例になったこの時間がいつの間にか大好きな時間になっている。
頼んでくれたピザを皆で頬張りながら、選手のプレイに一喜一憂。
予定日を超えて少し焦っていたけれど、三星のお父さんお母さんのおおらかな優しさに触れて心が穏やかになる。


予定日超過二日目

深夜から痛みのレベルがアップし、合間をぬって眠る。
朝7時頃からは10分ごとの定期的な間隔になったので8時を待って助産院に電話をした。
7分間隔になったらまた電話するように言われたので、陣痛が早まるように床のぞうきんがけをしたり、スクワットをしたりして過ごす。

昼になってもなかなか縮まらない陣痛の間隔。
7分の壁はなかなかにして高い。
体育会系の血が騒ぎだし、アスリートモードへ突入した私は安澄の心配をよそにタイムを縮めることに躍起になる。
ちょっとそこまでの散歩がいつの間にか二時間の散歩となり、その合間にかき氷まで並んで食べるという今考えればおかしな行動をしたりもした。
(一時間弱並んだかき氷の行列では安澄の知人にばったりお会いして、陣痛まっただ中という状況に驚愕される。確かに、そんな状態で行列に並ばないよな。。。。)
10分歩いては痛みでうずくまり、また歩いてはうずくまる。
されど陣痛の間隔はなかなか縮まらず、7分間隔になったのは夜の11時だった。